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sawadee!!紀行+


2004-07-01 この街にコトバは必要ない。 [長年日記]

→EDINBURGH

エジンバラは実に寡黙な町である。といっても、静か過ぎる、というわけではない。街並みがむやみやたらと派手に飾られることなく、中世の趣のままで保存されているのだ。目抜き通りを通るだけで、幸せな気分にさせてくれる。とにかく一見しただけで説得力のある場所なのである。男女の相違に着いてとやかく言うつもりはないけれども、とにかく「黙って見たらええ」というドッシリとした、格調に満ちた街なのだ。

ロンドンの宿で同じのソウ君と一緒に夜行バスに乗り込み、着くやいなや観光を始める。彼は、今夜また移動なので積極的に観光しまくりたい(?)そうな。エジンバラ城を経由して、下調べしておいた宿にチェックイン。荷物を置き去りにして早速、観光を始める。まだ9時にもなっていないので建物関係はすべて閉まっている。ということで、まずは小高い丘に登ってみた。登っていくにしたがって丘の稜線が下がっていく。空の面積が増え始め、やがて向こう岸と海を見渡せる所にやってきた。北海だ。ついにここまで来た。ずいぶん遠くまで来たことを実感した。丘に登るまでの間、アフガニスタンの地面とソックリのところを歩いた。最初は気付かなかったが、無意識に地雷原の目印となる赤い石を目で追っていた。まだ、後遺症は重い。

丘から(この丘は数日後に訪れるものとは違う低い方の丘である)王族が住んでいたとされるエジンバラ城とまた違ったものを訪れ、立て続けに小さな博物館を3つのぞく。これだけでも十分に1日分の観光なのだが、さらにスコットランドで一番大きな博物館と美術館も訪れてみた。やっぱりモネとゴッホの絵が一番しっくりときた。宗教画を、じーーーっと何枚も見るのは自分にとっては少々酷である。

夜ゴハンはフィッシュアンドチップスを食べる。いかにも、というぐらい大味だったので、ソウ君と笑って食べた。UKの食事情は、ちょっと緯度や経度を変えたぐらいでビクともしないのである。その後は、EURO2004を観ていた。結局、延長ギリギリまでソウ君はいたのだが、バスに間に合わなくなるので行ってしまったよ。

丘の上より丘の上の神殿 休憩はコレに限る旧市街に虹がかかった 夜のエジンバラ城若者いっぱい。ザ・ビーチ状態

2004-07-02 LUNANキャンプ [長年日記]

EDINBURGH→DUNDEE→MONTROSE→LUNAN

とりあえず、今日はDUNDEEという街まで行くことになっている。事前にバスの予約を済ませていたからだ。バスステーションでチェンマイから来ているタイ人と知り合い、バスの中で話をした。彼はどうやら留学で来ているらしく、「寒いなぁ」が口癖だった。

DUNDEEに着いて、見るものも泊まる所も分からないので、ツーリストインフォメーションへ行った。タダをいいことにいろんなパンフレットを読みまくる。その中のひとつにLUNANというところの写真が載っていた。解説などはなく、単にきれいな砂浜があり北海を望めるビーチということだけが分かった。何かひきつけられるものがあった。「よし、ここへ行こう」。そう決めたら早かった。DUNDEEの街の観光を手早く済ませて、鉄道に乗り込む。

鉄道から降りた駅はMONTROSE。静かな街である。海からすぐの内陸に半塩水湖があり、駅は湖からすぐのところにあった。まるで防波堤の上に駅が建っているイメージ。で、この半塩水湖は境港のようなロケーションである。一瞬、LUNANは遠いしここでキャンプしてもええかな、と思ったけれども雑念を必死に追い払った。こういう負けの思想に入った時には、実力行使に訴えるのが一番だ。スーパーを探し出し、LUNANでの食事の用意を整えて、バススタンドへ急ぐ。運が良いことにバスは10分ほどでやってきた。

LUNANは地図で見るより遠い所ではなかった。ただ、ものすごくマイナーなバス停でおりる。偶然にも、そこで降りて家に帰るおじちゃんが見つかった。しかも彼はLUNANビーチのすぐ近くに住んでいるようだ。彼と並んで歩きながら「日本から来たんだよ」などと話をする。「OK、ミスター・ウラ、そこを降りて右に曲がり、1kmほど行った所が目的地だよ」と教えてくれた。スコットランド人の英語は聞き取りやすい。確かに訛っているのだが、こちらが初心者と見るやいなやゆっくり話してくれるからだ。ロンドンの人たちは確かに訛りのない発音かもしれないが、相手に配慮してゆっくり話してくれることは少ない。

キャンプを始めた。目の前で北海の潮の満ち引きが展開される。引き潮の時に海から現れた砂浜はとても不思議な模様をしていた。とても懐かしかった。自分は姫路の大学に行っていたのだけれども、その近くの赤穂で見ることのできる遠浅の海が作り出す模様だった。いま日本では遠浅の海が少なくなってきている。もしかしたら、こんな模様を見た20歳前後の人は少ないのではないだろうか。

海からはザパーンという音でなく、延々とザーーーーという音が聞こえていた。スコットランド産のエールを飲みながら、何時間も座って砂浜を見ていた。

LUNANの遺跡浅瀬を渡るトラクター 波紋砂浜の向こう側 テントより波紋のアップ 振り返ると廃城定置網 空は反射した水は鏡

2004-07-03 北海サンド→カモメサンド→芝生サンド [長年日記]

LUNAN→DUNDEE→GLASGOW

北海の朝は、引き潮だった。夜中にちらっと見たときは満潮近し!って感じですぐそこまで波打ち際がきていたんだけど、いまはずーっと向こうにある。風が出てきた。いそいそとテントを撤収する。砂まみれだなー、テント。街道まで出て、バスをつかまえた。なんと1時間に1本もないバスを、待ち時間5分以内でキャッチ。運いいなぁ。DUNDEEからGLASGOWへ行くバスまで、2時間ぐらいある。景色のいいところで朝ゴハンにしよう。てことで、北海寸前の川べりでサンドイッチをつくってほおばる。目の前をこぎれいな中国人のカップルが歩いていった。

グラスゴーに着いて宿探しをするけれども、どこもフル。2時間ぐらい歩いたときに見つけた宿が空いていた。途中で結婚式と遭遇した。スコットランドの伝統衣装を身にまとった男。誇らしげだった。この街はセンスがよい。ヨソモノもローカルもすべてを包み込むような街の設計。カフェもパブも、生活雑貨も服屋もレコードショップも、すべてに向けて解放しているような感じを受けた。

沈みゆく日を見るために、宿の前の広大な公園でまたサンドイッチをつくって食べた。黒くシルエットとして浮かびあがる大教会。街はオレンジに染まっていくのだった。

カモメ見ながらサンドイッチかっこいいぞ、新郎

2004-07-04 ギリシャ、EUROを制す。 [長年日記]

GLASGOW→EDINBURUGH

今日はEURO2004の決勝である。観戦するぞー!飲むぞー!ということで、昼一番のバスでエジンバラへ。う〜ん、相変わらずmegabusは安い。高速バスがたったの1ポンド(200円)だもんね〜。しかし、これ、どうやって元をとっているんだろう?

さて、エジンバラ。もう観光ポイントはほぼすべて行ってるからなぁ…。ということで、残されたところはひとつ。丘へ行こう。そして街を一望してやるっ!途中のショップでサンドイッチの材料を揃えて、いざ丘へ。最初の10分はきつかったけど、あとは快適なハイキング。出る汗はすべて乾燥した涼しい風が乾かしてくれる。9割がた登ったところで、サンドイッチタイムだ。超絶によい景色を見ながらメシを食うのは、とても快感である。ふたつの快楽をひと時に体験するというのは、やや変態がかっているけれども、とても気持ちがよい。ただの安っぽいハムサンドだったけれども、このときはこれ以上うまいものはこの世に存在しないぐらいの勢いで食べた。丘を制し、さて、と立ち止まると丘の向こうにさらなる頂が!この山も攻めておかねばなるまい。それが礼儀というものである。山へのトレイルをたどる。振り返ると、北海の一部分に雨雲が差し掛かり、その真下だけが円柱形のグレーゾーンと化していた。しかも、そいつはどんどん近寄ってくるではないか。結局、6合目あたりで雨が降り始めた。それでも攻めるのが礼儀である。激イージーなおじいちゃんおばあちゃんでも登れる山を撤退するのは絶対にヤだ。ということで、無人の頂に大雨の中たどりつく。アホである。

街に帰ってきてネットをしていると、なんとロンドンで宿が同じだったニエさんがエジンバラに来るというではないか。「せっかくの決勝ですから、一緒に観戦しましょう」。いやぁ、ありがたい。サッカーはサッカー好きと観るに越したことないからねー。

サッカーの観戦結果は…「いやぁ、チェコ、勝っちゃいましたねぇ」という会話がすべてを物語っているだろう。古臭い、卑怯だといわれながら手にした栄冠だけれども、これは評価に値すると思う。ポルトガルを二回、あのチェコを退けた力は本物であろう。スペインもギリシャに負けた。じゃああのロシア戦はなんだったんだ?とも思うけれども、今回はイタリアも負けたし、ギリシャよくがんばったねー、なのである。スポーツバーから出ると、もうギリシャ人たちが100人ぐらい集まってパレードをしていた。いまごろリスボンはどうなっているんだろう。あー恐ろし。


2004-07-05 日帰りグラスゴー。 [長年日記]

EDINBUGRH→GLASGOW→EDINBURGH→

画像の説明昨日、見つけた12ポンドの宿で朝メシを食べていたら、なんとチェックアウトは10時だった。「早く出てくれぃ」と陽気に言われる。丘に登った感想をニエさんに言ったら、ぜひ行きたいってことで、今日も登山だ。丘は相変わらず格好よい。今日も退廃的な草原を歩きあがり、街を一望する。その後は、もう一度ゴッホとモネを見て、ニエさんの提案でグラスゴーへ。前に滞在していたことで評価されたのか、「いろいろ効率よく回りたいから一緒に行かない?」ということで、往復チケット代の半分を持ってもらった。

また、グラスゴーなのである。前回の滞在(とはいっても昨日か)でウインドウショッピングをしていたので、お互いが望む商品がある店に直行する。ニエさんはこちらでしか売っていなさそうなTシャツを購入していた。自分は、ジャージを買った。EUROが終わったので、関連商品が安売りしていたのである。そのジャージはイタリア代表のものでタグには「ポリエステル100%、UNOFFICIAL100%」と書かれていた。このタグがあるだけでも買いだよ。日本ではオフィシャルのユニフォームばっかり売っているし、パチモンはダサイ。こちらのセンスは、パチモンの方がおしゃれな気がする。つーことで買い。EURO無敗のくせに決勝に上がれなかったイタリアを着こなそう。そうしよう。そういえば、トラバットーニが解任だそうな。インテル時代にはレコバを使わなかったあの野郎が解任されてまったくもってせいせいするよ。これで晴れてイタリア代表を応援できるのであった。

エジンバラからロンドンに向かう夜行バスでのこと。隣に座ってきたのがデブの黒人だった。1.3人分ぐらいシートを使いやがる。当然、自分は0.7人分。ゴルァ!!と怒ろうとしたその矢先に彼は「OH!!SORRY」と小さくなるのである。怒りきれねぇ!もうちょっと横柄にしてくれないと、怒りようがないやん!ということで、寝ることもできず、怒ることもできず、黒人君の熱すぎる体温を直受けしながらバスは走るのであった。


2004-07-06 メンツかわる。 [長年日記]

LONDON

スコットランドから、ロンドンの基地に帰ってきた。そしたら、女の人たちが増えていたのだ。前は男子寮状態で、それはそれでおもしろかったけれども、女の子がいるとみんなが集まるのがいーねー。外で音楽をかけながら飲んで、ええ感じでしたわ。

画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明
本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

トーマス [なんかええとこおじゃましてるやん。もっと写真見たいな、俺が喜びそうないいネタあったでしょ。 今年はフジロック3日間通..]

かんりにん [オーナーが韓国人の日本人宿ですなー。仲良くなったみんなで、ガーデン飲み会をしたりとか。皆勤してたフジロックは、今年は..]

おかだ [野方くんがプラグイン追加してるみたいやけど、何か変化あった? 自分はtDiary使ってないので分からんのです。]

かんりにん [カレンダーの土曜日と日曜日に色がつきました。というのはマイナーチェンジ部分ですな(笑)。見てもらってのとおり、相変わ..]


2004-07-13 ダブリンへ [長年日記]

LONDON→

バスはバーミンガムへ向かって、客を拾った。たくさん乗り込んできて全席埋まる。隣はダブリン出身のジェントルマン。いい旅になりそうだ!

ウェールズのドライブインにておりゃぁ!とブレさせた写真

2004-07-14 [長年日記]

→DUBLIN

嵐の中をカーフェリーは進む。ウェールズのホーリーヘッドからダブリンへ。ついにダブリンに到達なのである。U2やエンヤを生んだ街。などと書きつつも、やはり最初に向かったのはギネスミュージアム。夏の虫が火の中に向かうようなものだわ。行くのが当たり前、オレの行動として。

ディスプレイがよかった。多くの博物館や美術館では、絵の飾り方が雑なせいでその魅力を引き出せないことが多いんだけど、ここのは楽しいしおもしろい。ビールの生成過程を展示しているところでは、においや音なども体験できるようになっていた。あと、見た瞬間にカッコいい!という感性を大切にしているのもオレ好み。屋上でできたてのギネスを飲んだよ。うま〜。

そのほかのこととしては…、中華料理をしこたま食った。中華街があって、レストランへ行くと「おい、ここは中国だよ」クラスの店があって、しっかり食後の中国茶までいただいてきた。机の上は中国に敬意を表してやや食べカスを散らかす。これ、中国式。アイリッシュミュージックの生演奏をやっているパブにハシゴ。ここではギネスではない黒の生を飲む。ビール付のスロウライフは、やはりよろしいですな。

フェリーに乗り込んだぜ横殴りの雨! 嵐の中フェリーは進む市場発見!やっぱ市場に限るね〜 テンプルバーへテンプルバーのテンプルバー フォトギャラリーむっ!まさかこの工場はっ! ビジュアライズされた展示その壱ビジュアライズされた展示その弐 最後はタワーの最上部にてギネスをいただいたぜぃ

2004-07-15 北風とトランプ [長年日記]

DUBLIN→DONEGAL→KILLYBEGS(on the way)→DONEGAL

ヒッチはやはり難しい。最初に37台目でゲットして「こりゃ楽勝だ〜☆」などとノホホンしていたら、あとは地獄。点々と来る300台にスルーされたとさ。日は落ちてくるし、通る車は少なくなってくるし、でDONEGALへ戻ることに。

キャンプ地探しも難航。湾内の西側をくまなく探すけれども、ないな。湿地帯ばかりだ。東側は…、駐車場の端がいけそうだぞ!ということで、到着したら…、大雨になった。キャンピングカーで来ている家族に誘われ、雨宿りさせてもらう。お父さんはトランプで娘に負けてあげていた。ほほえましい。

雨が小降りになったのを見計らってテントを建てる。何はともあれ、これでヨシ。明日の朝、テントをたたむのが面倒なぐらいだ。寝転ぶこと30分。ん?なんか風がすごく大きくなってないかい?ん?テントが傾いてきていないかい?ん〜?テントのフレームに強風が当たって変な音が出始めたぞな!もう、どうにでもなれ、と足でテントを支えて寝る。30分ほどしたとき、急に風がおさまった。驚いてテントの中から外を見てみる。風は健在だった。というより、ひどくなっていた。けれども、見るに見かねたキャンピングカーの家族が車を移動させて風除けになってくれたのだった。ありがとう。そして娘の女の子よ、トランプのイカサマはオヤジにバレているぞ、と思いながら安眠したのであった。

ドネガルってところに行くぜ。よく知らんけど…道半ばの街の標識である 1台目のおばちゃん2台目のデリバリーにいちゃん キャンプ地を探して歩くラグーンだ 娘、イカサマしまくり日が暮れてきた。このあと嵐に。 風除けになってくれたキャンピングカー風が強すぎて木の形も変だ

2004-07-16 Friday , Bloody Sunday [長年日記]

DONEGAL→DERRY(LONDONDERRY)

数ヶ月ぶりに衝撃を受けた。欧州に入ってからというもの、どうでもよい自己主張の壁ラクガキをたーくさん見てきた。バンドの名前や恋人の名前、どうでもいいようなメッセージの数々。とくに、チェコとポーランドのものは1990年付近からこんなに書かれたんだ、と思えるほどおびただしい数のラクガキだったのだ。こんなの書くなら笑えるのがいいなぁと思っていたウォールペイント。でも、ここのは、ちと違った。

魂の叫びだった。カトリックとプロテスタントの覇権争い。だいたいモメごとを起こすのはキリスト教徒のような気がするが、ここはそのキリスト教徒同士が争っている最前線だったところ。街の中央を流れる川を隔てて、各コミュニティーが分かれて住んでいる。街の呼び名もふたとおり。流血事件があった通りにはいまも、ラクガキからオフィシャルのウォールペイントまで描かれていて、この争いを二度と起こさないように痛烈なメッセージを来た者に投げかけている。というよりは、あれは自分たちへのメッセージへと見たほうがいいのだろうか?テヘランで見た「Down With U.S.A(=米国を撃ち落とせ)」というウォールペイントよりも衝撃的だったのは確かである。

ここは血の日曜日が起こった街。夜、その事件に関する建物に向かって立小便をしていた男がいた。そっこーで警察に捕まる。団体だったので、周りの友人たちも引き止めに入るが、警察は頑として譲らなかった。そのまま連行。ことのすべてを見終えて宿に帰ろうとしていると、また立小便をする男がいた。さっきの野次馬の一人だったのだけれども、彼は何度も後ろを振り向きながら用を足していた。

嵐の後、カモメは落ち着いていた。久々にスパゲッティを食べた ギルドホールのステンドグラス大砲のゆくえは 子どもとメッセージいつの時代の銃痕かわからない。 家族争いの起きた日、教会には死体の山があった。強烈なるメッセージ いたるところにペイントがキャッチフレーズinデリー ラクガキも本気事件現場近くの駐車場 いたるところにIRAの痕跡が街の人は暮らす 市民は歩くリアル出現 マッカートニーや、らもは正しい夜のデリーも美しい

2004-07-17 第二回アイルキャンプ [長年日記]

DERRY→GIANTSCAUSEWAY

北アイルランドの観光の目玉、ジャイアンツコズウェイへGO!なんでも、特殊なマグマの固まり方をしたために、崖やら地面一面に六角形の石柱が連なっているところだそうな。地歩というガイドブックによると、DERRYからPORTRUSHという街へまず鉄道へ行くらしい。そして、景勝路線のマークは書いていなかった。だーが、とても景勝路線なのだった。川沿いに広がる農地、遠浅のビーチ。向こうはアイスランドとグリーンランドしかない。ここは北緯60度地帯なのだから。

ジャイアンツコズウェイは、北アイルランドのハイライトとされているだけあって、それはそれはすごい人出だった。広大な面積の中だから目立たなかったけれども、300人は入っていたよ。その中をバックパック担いでうろうろしていたものだから、さぞかし怪しい人だっただろうなぁ。しかもキャンプの候補地を探していたから、石柱よりも芝生に向かってキョロキョロしちゃって。崖の下では良いポイントが見つからなかったので、崖の上へ。風を受けにくそうなポイントを見つけたので、テントを張ってゴロ寝する。起きたら…

風が強くなっていた。しかも風向きが逆になっていて崖の下100メートルをまっさかさま、なんてこともありうる状況だった。崖下を見ると、観光客が格段に減っていた。そだ、下へ降りよう。安全だし、石柱も近いぜ。

数人のローカルと夕焼けを見た。方角は北北西。暗くなり始めたのは22時。すごいところである。独り占めだったのである。

出発だー。天気ええぞ!ロンドンデリー駅 いやいや、車窓の景色はよろしい!後ろではしゃぐ親子。仲いい! バス停でとりあえず一本通称オルガン岩。パイプオルガンのパイプのよう オルガン拡大図オルガン付近の全景 咲き乱れる花もうすぐ実になります がけの上への道崖上での昼寝 観光客が少なくなってきた大波注意 コズウェイお皿のようになった岩たち 夕日を見に行く人夕日1 夕日2今日はここで寝る

2004-07-18 上がり下がり [長年日記]

GIANTSCAUSEWAY→BELFAST→DUBLIN

朝のコズウェイ・コーストは静かだった。カモメの鳴き声と砕ける波の音。それだけなのであった。朝焼け、というには遅すぎる時間だけれども、人の少なさで十分に「大自然の中のひとり」を満喫することができたのだ。バスに乗ってPORTRUSHという基点の鉄道駅に行く。ベルファストまでの値段を聞いて驚いた。「キャンペーンをやっているんだ、だから日曜日は4.50ポンドだよ」。国の北の果てから首都まで、まるでロンドン市内の移動のような料金で行ける。ゲンキンなもので、これで完全に気分が上がった。激上がり。そして鉄道内では爆睡。気がついたらBELFAST近くであった。車窓から見るこの街は、なんだか味気ない。気が充満していない街の代表格のような印象である。鉄道から降りて、一見した景色が楽しそうなら宿泊しよう、と心に決めてステーションの外に出てみた。

気がつけば、すでにダブリン行きの鉄道に乗っていた。どこまで行っても4.50ポンドの券を使ってアイルランド国境付近の駅まで行く。なんと、国の北端から南端まで、4.50ポンド(900円)で移動してしまったのだった。おそるべし、キャンペーン価格。

ダブリンのバスステーションで、「今夜出発のチケットを発券してくれよぅ」と尋ねると、「たぶんフルだと思う。今日は日曜日なのでバスのオフィスが休みだからわかんないけどねー」というテキトーな答え。これで商売が成り立つぐらいが人にとって幸せなのだろうか?日本のようにヘコヘコしながら「はい、おきゃくさまのおっしゃるとおりでございます」みたいなことを、心を込めずに言ってでも日曜日にオフィスを開けているほうがいいのだろうか。まぁ、自分自身がテキトーな暮らしを望んでいるので、このテキトーっぷりをあまり厳しく言うことはできんな、と思うのであった。

朝、無人の六角岩ポートラッシュの海は美しい アイリッシュミュージシャンしかめ面のオヤジ 飲んでケンカ、万国共通なり。オコンネルstのモニュメント ギネスを持ってフラフラと徘徊夜の路地でギネスを飲む

2004-07-19 彷徨的我人生 [長年日記]

DUBLIN

今夜、ロンドンに向けて出発するぞー!と勇んでいったバスオフィス。しかーし、ここがイライラする場所だった。予算の関係上、肉をそんなに食えず、インド以来のエセベジで、苛立ちとは縁遠かった自分だけれども、かーなーりイライラした。昨日の日曜日にバスオフィスが休みで「客商売ナメとんかワレ」と思ったのを、さらに上塗ってくれるよ、こいつら。なにせ、遅い。たかが10人も待っていないのに、バスチケットを発券するのに小一時間もかかった。ありえん。これならパキスタン人のほうが優秀である。

取れたのは明日発。今日のはフルらしい。この時間でフルなんだったら増便しろよ、と思ったのでそう伝えておいた。答えは「アイ・ドント・ノウ」。さすが事務員、事務的である。

さぁて、何しようかな。行ってない博物館を何個か行って、夜はアイリッシュパブで生演奏を聴きながらギネスを飲みますかぁ。とりあえずU2が経営しているパブも探してみよう。そうしよう。

麻婆豆腐inダブリン夕焼け近し港のそばで 運河ではボートをこいでいたU2ラクガキその壱U2ラクガキその弐
本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

メグミ [やっぱりさ、インドは苛立ちの国なのだな。二十歳の私はローソンスタッフとして接客見本になるほどだったのに、初訪印で「口..]

uracci [ハスキーボイスも、そこから生まれたとか???ぼかぁ、逆に怒らないと相手に失礼なんじゃないかと思ってます。そういう国な..]


2004-07-20 ロンドンへ [長年日記]

DUBLIN→

やっとダブリンから出ることできま〜す。今日は博物館とお城にでも行きますか〜。そうそう、ギネスも飲み納めだね〜。

●二回目のネットカフェ

ただいま博物館と美術館より戻ってきました!博物館は、ここならではのものが少なかった気がするなぁ。美術館は、モネの前でぼーっとしてたら「閉館で〜す」といわれて追い出されちゃったよ。なんか、異常なまでに美術館と博物館と教会には目が肥えたと思うよ。

●バスの中

ひさびさに、ダメバスに乗った。客層がオカシイのよね。ダブリンからウェールズのホーリーヘッドまで、バスごとカーフェリーに乗り込むんだけれども、事件は船を降りるときに起こった。フェリーに乗ったときより、客が多いのね。3人ぐらい座れなくなって、そいつらが運転手とモメているのだ。そのせいで下船するのに1時間ぐらいかかった。しかも、降りた先にあるセキュリティーでは、おばちゃんと子どもが何やらワケの分からない言語を叫びながら号泣しているのである。もう、わけわかんね。また出遅れるバス…。隣の家族連れと「ストレンジだ」「インドみたいだ」とぼやきながら、やたらと待った。こんなときに白人たちだなぁと思ったのは、ジョークを喋ろうとするところか。とにかくロンドンには予定より2時間半も遅れて着いた。しかしながら、そのおかげで、ラッシュアワーをはずすことができたとさ。

船の中。夕刻である。マーフィーズもうまい!ついにダブリン港を出るずんずん進む船

2004-07-21 アイルランド・北アイルランド総括 [長年日記]

LONDON

せっかくなので、旅した軌跡と感想をまとめてみようかと。

●アイルランド/ダブリン

11ユーロという安い宿を発見できたのがよかった。街はこじんまりとしていて、見どころは中心部に固まっている。旅行者としては効率的な街である。個人的に良かったのは、ギネス博物館・U2関係の落書き・港近くの貧民街・中華料理。

●アイルランド/北部

街というより町という大きさで、どの町も過ごしやすい。いかにもアイルランドという風情のパブが必ずあって、ほぼ毎日アイリッシュミュージックの生演奏を聴くことができる。ちょっと足を伸ばせば大自然の中へ。キャンプなどもイージー。ただ、風はちょっと強い。

●北アイルランド/デリー

ここはマストでしょう。ベタと言われてでもU2の「Sunday Bloody Sunday」を一度はこの街の中で聴いてほしい。痛みと活力とが共存している非常に特殊なところである。いたるところに点在するラクガキやウォールペイントが生々しい。

●北アイルランド/ジャイアンツコズウェイ

世界遺産に登録されている奇岩エリア。むちゃくちゃデカイんだと思っていたら、それほどでもなかった。行く人は過剰な期待をなさらぬよう。岩ももちろんいいんだけど、周囲の大自然や農場郡にも目を見張るものがある。キャンプ覚悟かレンタカーがあるなら、北極方面に沈みゆく夕日を見ることができる。

●北アイルランド/ベルファスト

このコトバ大嫌いなんだけど、あえて…。見どころ見当たらないです。最初にココにきていたら感じるものもあったんだろうけど、最後にすると、他のエリアの印象がやっぱり強くて。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

芸人 [こんにちは。 いつも拝見させていただいております。 感想を一言。 正直、旅のテクニックや豊富な知識を持っているとい..]

uracci [いつも、ありがとうございます。 正面から感想を言ってもらったのは実は数回しかなくて、それが 良い風にかかれていても、..]

uracci [あ、ひとつ明確なことが分かった。 「オレが旅を愛している」ということを分かってもらえるようには 努力しなくちゃいけな..]


2004-07-22 ヒーロー☆ [長年日記]

LONDON

ぱんぱかぱーん。救援物資が届きました☆ありがとう、土佐っこの後輩よ。特に親とモメながら送ってくれたそうめんは、チェコの友人と食べま〜す。いやぁ、日本人といえば味噌汁だね〜。これもたくさんやってきた。かなりの量があるけど、全部いただきまーす。デジタル的なところでは、256のCFカード。これも今後は大活躍だ☆128のADTEC製CFカードがアフガンで壊れて以来、予備の48で撮ってたからねー。非常にうれしい!

あと、ともだちから迷惑メールがきました。彼はブダペストでの友で、もう日本に帰っているんだけど、こともあろうか「日本は浴衣の季節でーす」とあった。しかもその威力を上塗りするように「僕はアオザイよりも浴衣です」と書いてあった。おれもだよ!me too!!!!!だよ。今後、海水浴に行ったり(オレは日本の田舎の民宿と海水浴場が好きなのだ)、サンマがうまくなったり、マツタケを食いやがったりする不届きな輩が多数出現すると思うけれども、そんなヤツには旅自慢メル送りつけてやる。とはいっても、UKじゃ心打つものがないわな…。いま、ひょっとして形成不利?とにかく、たかふみ君、きみの街の浴衣美人のデジタルデータを高解像度で送ってください。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

タカフミ [浴衣が一番です(きっぱり ベトナムの民族衣装も捨てがたいけど、やっぱり浴衣でしょう こんなんも旅の醍醐味の一つなんて..]

おかだ [うらっち、サムネイルの件は解決してるかも知れないぞ。 これを思い出してアップロードしてみなよ。 http://shi..]

かんりにん [タ>いいんです。変態で。人なんて男も女も20代中盤に差し掛かったら誰でも変態ですよ。そしてマモノとなっていく、みたい..]


2004-07-23 どぞ。 [長年日記]

LONDON

更新できてないことを、今日は書こうかな。書くというよりも紹介しよう、だ。海外にMACを持ってきていないし、テキストだけでホームページをつくれないので、どーしてもいじれなかったLINKのところをばっ。

●芸人さんとこ

http://blog.goo.ne.jp/geinin1975

大阪は梅田のいかしたバー、木村ライダー(←LINKはってます)で知り合った芸人さん。北海道出身で、震災のときに神戸市民を救ってくれた。ちなみに、おれ、神戸市出身。地震のときは神戸の垂水で「えらいこっちゃ」と思っていたので、特に骨身にしみる。その後、神戸に7年住んで、その後?その途中?モンゴルにてホーミーを修行。石垣島に移り住み、今に至る。サイトでは石垣島での暮らしや考えてたことを更新中。

どんどん差を開けられていくライバルの純ちゃん。パキスタンのフンザで会った。大人数でトレッキングに行ったときも、がんがん写真を撮る我々は常に最後尾。必然的に会話の回数は増える。おれの心のふるさとラダックについ最近も行ったみたいで、いまから写真のアップを楽しみにしているのだ。仕事のエリアを写真から講演へと昇華させているのが最も悔しい、いや追いつかなくてはと思うところ。久々にガチンコできる相手。

●藤堂さんとこ

http://www.t3.rim.or.jp/~todd/

ポーランドのクラクフで出会い、アウシュビッツとビルケナウを一緒に訪れた藤堂さん。パリの白い門でも再会した。アフリカや南米をくまなく旅しているので、とても話が興味深い。もうひとつ特筆すべきことはサッカージャンキーということ。EURO2004も数試合を観戦したようで、度々いただいたメールを読んで大会を実感できたのも懐かしい思い出。広島出身で熱きカープファンでもある。サハラ縦断、VISAが取れたらおれも。

●ヒロコ譲のとこ(我々の間では通称「はくさく」なのだが)

http://www.nicomade.com/

多くの人がこう思うだろう。「なんでこのサイトの管理人さんがuracciのおともだちなのか」と。実は音楽つながりだったりするのだ。東京やら大阪に自分の作品が並ぶ事もたびたび。メッセ仲間でもある。アフガニスタンにいるときに「イランで日本人3人が拘束!!」というのを教えてくれたのも実は彼女だったり。酒について書きたいのですが、圧力がかかりそうなので、あえて書きません。(書いているようなものだけれども)

●カーブのとこ

http://www.ka-bu.com/

ベースのO`samというやつが、ブラザーなのである。いわゆるきょーだいなんだけれども、ちなみに自分が弟と思ったことは一度もない。兄はオレだ。大学時代に一緒にバンドを組んだり、いろいろ突き抜けたよ。ヤツとは。カーブはCDを出したりツアーで回ってたりしているんで、みなさんも機会があればぜひぜひ。いまやサノ君ともキョーコさんとも仲良くなったので、帰国したらまたライブ行ってみよ、と思ってます。旅の途中(帰路)で行けたらいいんだけどねー。

ということで、LINKしたいのに一向にできていないサイトの紹介でした。

◎宿に帰ったら

今夜の夜ゴハンは、なんと焼肉であった!さすがは韓国人経営。食い過ぎ警報5人前発令中!

焼肉警報発令中!!!
本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

ヒロコ(通称はくさく) [んにゃー。紹介してくれてありがとう。お酒が大好きなはくさくです。でもうらっちとお酒を飲んだことはありませんよ! とこ..]

かんりにん [なおしたー。指摘ありがちょ。そのうち飲もう。そのうちが近いことを祈るのみ。保護者つきなので暴走できまい(笑)]

ヒロコ(通称はくさく) [もひとつよい? わたしのところが"譲"なのも気になるわー。うふ。]

かんりにん [なおしてないー。指摘ありがちょ。じゃあ、新しくヒロコ醸で。醸造の「醸」よん。]


2004-07-24 ま、負けた。 [長年日記]

LONDON→BRIGHTON→LONDON

ヤツはグー。おれはチョキ。ま、負けた。かくして、自費で荷物持ちをし、留学のための引越しを手伝うという羽目になっちまった。財布が味付け海苔よりも薄くなる日は近い…。ちなみに勝ったら、交通費はおろかビールやら昼メシは当然タダだったんだけどねー。

スーツケースを運んでみる。な、なんて持ちにくい物体なんだ…。扱いに慣れていないおれはガツン・ごつんと道の角でウイリーさせ、持ち主から、いや勝者から刺すような目線を真夏のUVばりに受けながら、運んだのだった。うーむ、20KGぐらいならバックパックの方が持ちやすーい。

目指すところはブライトン。海辺の街である。そして、ヨーロッパ最大のゲイの聖地。突撃記者魂と常識が天秤にかけられる。あっさり、常識が勝つ。そういうところに行くのなら、わがケツの穴のためにアロンアルファを事前購入しておかねばなるまい。しかし、やつらのすごさは、それどころでないことをブダペストで学んだではなかったか。

あれは、5月のブダペスト。温泉で有名な街で、もちろん大人数で公衆浴場に出かけたものだった。ある日、同じ宿に泊まる友人が平和な時を破壊するような事を言いだしたのだった。「ぼく、キラーイに行ってきます」。解説しよう。ブダペストに温泉が何個もあるのだが、普通の温泉とそうでない温泉がある。普通でないところ、それは実はゲイの社交場だったのだ。特にキラーイなどは、ガイドブックに「歴史と伝統のあるトルコスタイルの温泉。ここを見ずして…」などと書かれているため、被害者が絶えないといういわく付きのポイントなのである。我々は止めた。遺留した、ぐらい書いてもいいか。とにかく、先人の悪夢の履歴を「あたかも鉄道のように」などと片っ端から伝えた。それでも彼は「そうなりそうなら逃げてきますって」と行ってしまったのだった。

帰ってきた彼は食欲不振になっていた。「あれやこれや見てしまったのか?いや、きみ、ひょっとして…」と尋ねる。「いや、ナニはそんなものさせませんよ。でも…でも、ぼく、オカズにされたの初めてです!」。百戦錬磨のゲイは柔道用語でいうところのカメになっている彼から、みごとに一本とってしまったのだった。

脳裏にそのときの彼の表情がよみがえる。(中略)。

とにかく、この旅初の空白の一日になってしまったのだった。

※中略の部分は、帰国したあとや、メールしたりしたときにでも。でわ。

●ブライトンからロンドンに帰ってきた後

このままエジンバラに行っちゃえ〜、とバスターミナルに行き、発券を試みるもダメだった。さすが夏休みの中の土曜日。せっかくセントラルまで出てきているので、ピカデリーまで歩く。バッキンガム宮殿のそばの公園を通ると、芝生の上で小さなクラシックコンサートをやっていた。芝生でゴロ寝しながら聴く。いやぁ、いいねぇロンドンの休日も。そのあとはピカデリーのジャパセン(ジャパニーズセンター)なるものへ行き、納豆と枝豆をゲット☆

王様と敗者ブライトンだ。 芝生クラシックピカデリーも撮っておくか
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のがじゅん [ブライトンがゲイの聖地って…。日本の夢見るMODS達は全員 orz 状態っすな(ヲレ含む) それはさておき、ゼンジー..]

かんりにん [結論からいいますと、あの断崖絶壁やあの路地なんて行く暇がなかったです。 日記に渋滞のせいで帰りのバスまであと5分のと..]


2004-07-25 アフリカに向けて [長年日記]

LONDON

アフリカに行く準備を整え始めた。ロンリープラネットのアフリカ版を読む。集中して読んでみる。5分で破綻した…。英語はやっぱり難しい。最近になって、やっと話す方が読み書きよりもラクだと思えるようになってきた。いまや忘れつつあるヒンディー語なんて完全な文盲だったからなぁ。でも、逃げてちゃ何も始まらん。というわけで、夕方あたりにビール片手に読み直そう。

昼ゴハンはゴハンである心機一転できるように、昼ゴハンは日本食にしてみた。コメ、納豆、味噌汁、きゅうりの漬物。最高だ。眩すぎる…。くらくらだ。夕方にビール、はガマンできず、この昼ゴハンのときに、枝豆を加えて昼から飲む。日本での休日と変わりない気がしてきた。さいきん日本から来るメールには明るいことが多い。自分が参加した映画は大成功だったようだし、前の職場の人たちは元気で充実しているらしい。大学時代の友人たちもがんばっているらしく、旅で出会った人たちも元気にやっているようだ。こういうのって波があるよね?いま自分も含めたみんなが上向きで、こちらロンドンでもうれしい限り。自分も、旅をガツンとやってやるぞ!アフリカまでの間に、残った東欧の国々をすべて訪れ、サハラ縦断か、東アフリカ縦断をする。最初のアクションは明後日。難しいミッションではあるけれども、ロンドンのアルジェリア大使館とリビア大使館でVISA申請することから始まる。待ってろ!アフリカ。

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Before...

おかだ [あ、ひょっとしてサムネイルの件、解決したのかな? だとしたら野方くんありがとう。 なにか試そうかなと思ってたんだけど..]

のがじゅん [サムネイル問題解決しましたよー。原因はオイラの勘違いでした。 これで高負荷問題が解消される(笑) んで、うらっちさ..]

のがじゅん [あと、日記を書き込むときにタグが一発で書き込めるようになっていたり、テーマをいじったり、http://uracci...]

おかだ [らもが死んだってさー!!]

かんりにん [メ>お先にアフリカをフットスタンプさせてもらいまー! 純>ふっ、アフリカにいけば必ず作風は変わるぞ。撮りまくるし。 ..]


2004-07-27 巨星落つ。 [長年日記]

LONDON

コロンで死ねる。次に本が書けたらこのタイトルで決まりだね!ニュースをネットで見て、「中島らも、死去」って出てた。そんな人いたっけ?どうせ、向こうでクスクス笑ってるよ、あのおっさんは。「今夜すべてのバーで」の続編を書かずにして大成するなんてスゴイ。なんて、やっぱり書けるわけないよね。人に笑いを与えられる男。最高に好きだよ、らもさんは。大阪の偉大な星でした。らもさんが生きていたら「静かにせいや」とか言いそうだけど、黙っているのはなかなか難しいです。
好きな著書:ガダラの豚、バンド・オブ・ザ・ナイト、水に似た感情、人体模型の夜、そして「今夜すべてのバーで」。

●ふつーの日記
大使館へ出撃したど。3つも行った。ひとつめ、リビア。カウンターのお姉さんに「VISA取りたいよ〜」と頼んでみる。にこやかに「無理よ」と言われる。いわゆる門前払いというやつだ。当たり前である。この国は旅行VISAの発給をめったにしないのだから。しかーし、次のひとことで一筋の光が射した。「ここのエージェントなら、うまく取ってくれると思うワ」。やったー、まだあきらめるには早いぞー!ん?大使館が私設の会社を紹介するなんておかしくないか?
ふたつめ、アルジェリア。ここはくせものだった。建物の前にズラリと人が並んでいる。その数30人以上。どうやら、気まぐれで窓口を一時的にするようである。こちらも意味不明。前の方にいた男たちは「ずーっと並んでるよ」と言っていた。しばらくしたら、12時が来て時間切れ。「ここで終わりでーす」。そんな、バカな…。バーゲンじゃあるまいし。
みっつめ、エチオピア。もし西アフリカへ行けなさそうなときのことを考えて、東の情報も集めなきゃってことで行ってみた。ここは簡単。アジアのVISAくらいの手間で取れる。役立つ人は極少だろうけれども、情報を少し。写真1枚、レター不要、60日有効の90日シングルが29ポンド、パスポートホールドは2営業日、です。
昼ゴハンは「みさと」という店で日本食を食べてみた。から揚げ定食。よく考えてみれば分かるのだが、から揚げはカレーやラーメンと同じく、日本独自の食べ物である。ルーツとなる食べ物はあっても、ああいうのは日本しかない。そして、そのあれを食べたかったのだ。日本のゴハン最高っす。んで、グリーンパークで友だちと昼寝して、カフェでぐだぐだと話して、宿に帰ったわけです。ただ、「みさと」効果は絶大だった。満腹で夜ゴハン、不可能がち。中日ファンと阪神戦のメディアプレーヤーファイルをダウンロードして観戦しはじめる。負けた。明日こそ勝つぞー!って、今日の午後から公園以外日本での生活のまんまですやん。
ま、今日は大使館3つという激務をこなしたからよしとしよう!
※今日は大使館の写真を撮って載せたかったけど、落合信彦の「モサド、その真実」という本を読み、ためらってしまったという実績を作った日です。特に、意味不明の広さを持つエチオピア大使館のトイレは掲載したかったなぁ。
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のがじゅん [下の続き。見出しを作りたくないとのことなので、blogkit入れりゃよかったーと騒いでも後の祭り。 というわけでet..]

かんりにん [了解でーす。理解完了。希望に近いどころか、手動設定できるのは希望そのものです。 名前は忘れないようにしますです。 旅..]


2004-07-28 昼はナイターに限る。 [長年日記]

LONDON

今日も敗者として、勝者の前に這いつくばることとなりました。相手は中日ファン。その前に3連敗したヤクルトファンがいたら気が狂ってます。そうです、今日の阪神vs中日戦を観戦したのでした。宿のPCをつかって、ネット配信のライブ中継。画像は荒かったけど、久々に我が阪神タイガースを見たよ。ダメですなぁ。ベンチがお通夜のようです。後期藤田平時代じゃないんだから…。神戸生まれの神戸育ちで、社会人時代は大阪。初めて遠くに離れてシーズンを見守っているわけです。
あの金本を「兄貴」と呼ぶのは抵抗あるです。いなくてよかった。あと、応援って外国人にどう説明したらいいか分からないですなぁ。行って、見知らぬ大勢のファンたちと一体感を持ってガンガン応援するのが好きな自分ですが、「あれは北朝鮮のマスゲームとどう違うのか?」とこちらで冷静に聞かれたら困るですよ。それぐらいみんなピッタリ揃っている。なんか、ここ数年、ユニ着て球場に行かなきゃファンじゃない、みたいな風潮があるし、どんどん外国人に説明しづらくなってるような…。それでも、勝ってほしいのは間違いないんだけどね。
今日は5時間30分もの試合で試合終了時間が昼の15時30分。こんな時間からじゃどこにも行けません。ということで、リビヤVISAの取得をしてくれるエージェントとコンタクトを取ったのと、いま切れている保険を新しく契約し直すべくネットで探したくらいでしょうか。いやはや、この保険探しはおもしろかったです。イギリスの長所をみっつをあげろと言われたらナイトライフ(音楽がメイン)、公園(広くて美しい)、保険(安い!)ですな。旅行保険にしても、ツアーみたいなのからバックパッカー用まで種類が豊富で、さらに行き先も細分化して値段設定されている。もちろんワールドワイドもあり。しかも価格は日本の約1/4。今回は3ヵ月という条件で保険を探したんだけど、9000円ぐらいでたくさんありました。ちなみに出国前に探したのは6ヵ月という条件だったけど、日本では7万円ぐらい。結局、契約したシンガポールの保険会社が3万7000円。こっちだと約1万5000円。さすがはロイズを持っている国です。ヨーロッパ経由で旅行するなら、絶対にこっちでかけた方がいい。留学やワーキングホリデイにしてもそう。世界的に見て、日本で契約すること自体がボラれてるよ。日本は条件がオカシイし。
「おかしい」と書いてしまったので、責任をもって何が変なのか書いておきます。自分は4年半前にインドへ行ってチフスになったのですが、そのときに保険がおりなかったです。確かに契約書にはチフスは帰国後3日以内に診断を受けていること、と書いてあります。その点では保険会社に落ち度はありません。ただ、問題はチフスが潜伏期間7〜10日の病気ということ。つまり数日の短期出張に行って保菌者となり、帰国した人は保険の保証期間より後日に発病してしまうわけです。自分もインド滞在の最後にキャリアとなってしまったわけで。あのときの金を出せ、とは契約上のことなので言わないけれども、この期間の見直しはすべきでしょう。
ということで、僕はロンドンにいます。日本にお忍びで帰ってなんていないっすよ(笑)

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かんりにん [のがたさんへ/あれ?一番最初のLONDONという文字が青字にならないです。なんでだろ?前までと同じ書き方してるのに。]

かんりにん [あっ、できた!おさわがせしましたー。]

おかだ [保険が安いのは意外やなー。 バイクの任意保険はこっちの4〜5倍(年間20万)はするって聞いたのに。]

かんりにん [僕はいま、おかださんとまったく逆の印象。この旅行保険の値段を出せる国が、バイクの任意でそんな値段!!!???なのであ..]

おかだ [単純に死亡率が高いのかな。 向こうのおっさん連中はすんげぇカッ飛ばすって聞いたし。 日本もバイクブームの頃は今の倍く..]


2004-07-29 LINK情報 [長年日記]

LONDON

この前に引き続き、LINK情報を。「世界184カ国を旅して」の頃からLINKさせてもらっている松本さんのホームページですが、このたびお引越しされました。新しいアドレスはwww.tabisite.com。ご本人のコンセプトと覚えやすいように、とのことで「旅して」と「旅サイト」をかけてこのURLにされたようです。名称もLINK当時と変わっています。いまや全独立国を踏破され、訪れた国の数は204。無敵です。僕は特にアフリカの旅にひかれました。会社員時代、まだ見ぬサハラに憧れたものです。各国一口コメントやエッセイなど、広くも深くも対応してくれるホームページですので、みなさんもぜひ見てください。
世界204ヶ国を旅して