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sawadee!!紀行+


2004-07-16 Friday , Bloody Sunday [長年日記]

DONEGAL→DERRY(LONDONDERRY)

数ヶ月ぶりに衝撃を受けた。欧州に入ってからというもの、どうでもよい自己主張の壁ラクガキをたーくさん見てきた。バンドの名前や恋人の名前、どうでもいいようなメッセージの数々。とくに、チェコとポーランドのものは1990年付近からこんなに書かれたんだ、と思えるほどおびただしい数のラクガキだったのだ。こんなの書くなら笑えるのがいいなぁと思っていたウォールペイント。でも、ここのは、ちと違った。

魂の叫びだった。カトリックとプロテスタントの覇権争い。だいたいモメごとを起こすのはキリスト教徒のような気がするが、ここはそのキリスト教徒同士が争っている最前線だったところ。街の中央を流れる川を隔てて、各コミュニティーが分かれて住んでいる。街の呼び名もふたとおり。流血事件があった通りにはいまも、ラクガキからオフィシャルのウォールペイントまで描かれていて、この争いを二度と起こさないように痛烈なメッセージを来た者に投げかけている。というよりは、あれは自分たちへのメッセージへと見たほうがいいのだろうか?テヘランで見た「Down With U.S.A(=米国を撃ち落とせ)」というウォールペイントよりも衝撃的だったのは確かである。

ここは血の日曜日が起こった街。夜、その事件に関する建物に向かって立小便をしていた男がいた。そっこーで警察に捕まる。団体だったので、周りの友人たちも引き止めに入るが、警察は頑として譲らなかった。そのまま連行。ことのすべてを見終えて宿に帰ろうとしていると、また立小便をする男がいた。さっきの野次馬の一人だったのだけれども、彼は何度も後ろを振り向きながら用を足していた。

嵐の後、カモメは落ち着いていた。久々にスパゲッティを食べた ギルドホールのステンドグラス大砲のゆくえは 子どもとメッセージいつの時代の銃痕かわからない。 家族争いの起きた日、教会には死体の山があった。強烈なるメッセージ いたるところにペイントがキャッチフレーズinデリー ラクガキも本気事件現場近くの駐車場 いたるところにIRAの痕跡が街の人は暮らす 市民は歩くリアル出現 マッカートニーや、らもは正しい夜のデリーも美しい