2004-01-04 巣鴨潜入。 [長年日記]
SUGAMO
東京在住の友人も行ったことがないというワンダーランド、巣鴨。今日はかの地への潜入を試みた。若さが吸い取られることも恐れず、突入したのは以下の4名。くろちゃん・えみちん・サムオ・uracci。一行は最初の横断歩道で普段の街並みとは違うことに気がついた。妙に見晴らしがいい。おじいちゃんとおばあちゃんばかりなので、頭ひとつ飛びぬけているのだ。巣鴨は親切なところである。縁起のいい真っ赤なモンスラ(=モンペスラックス)を高々と掲げていたり、ドアに「引く」と書くべきところを「引くよ」と書いていたり。しかも、その「よ」が遠慮がちなのがいい。パンツをはくだけで運気が上昇するというアイテムまである。出店も多くて、甘酒・お茶・おかき・じゃがバターと並ぶ。なにか欠けている気もするけど、とにかく食って飲むことができる。薬局などでは大げさに漢方薬が売られていることから、この界隈には健康に気づかう人が多いことも判明した。食堂には「酒は百薬の長」と殴り書きしてあった。肝臓の調子が悪そうなおじちゃんがべらぼうに酒を飲んでいる。きっと薬局は儲かっているはずである。2004-01-06 到着!! [長年日記]
ABIKO&NARITA&SHINGAPORE
高校の同級生きしも邸を出て成田へ。我孫子から成田空港、接続が悪すぎる。成田から成田空港までの電車が一向にこない!ピーンチ。ということで、京成に乗り換えたらすごい人ごみ。なんで第二ターミナルはこんなに混んでいるんだ、とか思ってたらシンガポール航空は第一ターミナル。40kgオーバーの荷物がにくいっす。とにもかくにも飛行機に乗り込み、雲の中をマッハで移動すること8時間。やってきましたよ、しんがぽー!友人のところまで行くために1時間ほど電車に揺られたんですが、街の中はなんかこざっぱりとした印象です。ずーーーっと続くよ、住宅地。建物の色が白を基調としていて、そこに薄いピンクや水色が混ざっている感じかな。建物だけなら、釜山の集合住宅にすごくにています。でも、どこか違った感じ。太陽の高さと、きれいに管理されて青々と茂っている芝生のせいかな?これから1週間、99年にバンコクで会ったアケミ嬢とその彼のビンセントとの共同生活です。しんがぽーの一般的な公営住宅に住んでいるのですが、広くて静か。リビングの一角を借りています。荷物を降ろしてシャワーを借りて「あー、ええ気持ちやぁ」と涼んでいると、ビンセントの友人のチャロとデニスが車で来て、食事に連れていってくれました。今日は中国の旧正月のようで、中華街があつかった〜!であであ。
2004-01-07 パキは遠し。 [長年日記]
SHINGAPORE
ちと、ややこいことになりました。今日、パキスタン大使館へ行ったのですが、どうやらシンガポールで働いていないとパキスタンVISAをくれないのです。大阪のおばちゃんのごとく、最初は「なぁ、ええやんかぁ、ええやろ?」攻撃をして、最後の方はワルの政治家のように「ワイロでも何でもプレゼントすっからさぁ〜」とゴネまくったのですが、本当に申し分けなさそうな顔をして「君の力になれなくて残念に思う。方法はない。不可能なんだ」と言われてしまったっす。さぁ、どうすっかねぇ。面倒くさいことになったぞ。次のバンコクでも、その次のインドでもVISAが取れないはず。どうやって西アジアに抜けるよ、オレ。いま考えているのはインドのデリーで「3日間のトランジットでいいからくれやぁ」とゴネるのと、進行方向の逆に戻ってきてネパールのカトマンドゥで取得する方法。まぁ、先のことだし、まぁいっかぁとお気楽になってみたりしています。今日はいまんところでっかいナショナルパークで日記を書いて、大使館→繁華街→リトルインディア(インド人街)に潜伏中。個人的には香港のチョンキンマンションの方が好きかなぁ。安いサモサがねぇんだもの。これから小さいとウワサのマーライオンを捕獲しに行ってきます。そりでわ。
2004-01-08 しんがぽー [長年日記]
SHINGAPORE
いろいろわかってきたよ、しんがぽー。ということで、基本的なことを紹介します。他民族国家ですよ、ここ。公用語は英語に中国語にインドのタミル語、んでマレー語。店とか電車の中ではいろんな言葉が飛び交っていますよ。もちろん皮膚の色もさまざま。仲がいいというか、混在しているイメージですな。それぞれがコミュニティーを持ってるみたい。でも、それでは国が分裂してしまうってことで政府が推し進めているのが、公団を安くしていろいろな人種を混ぜて住ませようという政策。道ゆく女の子は美人だし、飯はマレー系、中華系、西洋系なんでもあるし、言うことなしです。例えば、ナシゴレンやクアィティアウなら150円ぐらい。フレッシュジュースは60円ぐらい。対して、厳しいのはお酒と煙草、公共道徳違反に対する罰金ですな。タバコは500円もするっすよ。以前の自分なら枯れてましたな。あと、お酒は日本で飲むのと同じぐらい。こちらはタイまでガマンしよっと。てことで、今日はしんがぽー紹介でしたっ。であ。ちなみにスモーカーはみんなタバコを根元まで吸っています。もったいないと感じているんだぁねぇ。2004-01-09 バードパークto多国籍親睦 [長年日記]
SHINGAPORE
鳥の動物園ではありません。バードパークです。横文字のノリ。色とりどりのトリはもちろん異国情緒万点だし、さらにはエンタテイメントショーまであって、客はノリノリ。司会者の質問に全員で「イエース」とか「ノー」と答えるんすよ。なんか外国の通販ショッピング番組みたいだ。エサをやる時間を各カテゴリで分けてあって、うまくぐるっとまわればいろんなコーナーでトリと触れ合うことができまする。しゃべれるオウムがいたので、中国語や英語以外にも日本語を必死こいて教えてみました。が、ダメでした。トリの脳みそは小さいです。ちなみに教えようとしたコトバは「阪神タイガース」です。いまとなっては謎の行動です。夜はビンセントとエイテンと食事。atゲイラン。中華料理屋に行った後は、甘味屋でデザートっす。杏仁豆腐と豆乳とアゲパンでおます。
2004-01-11 ジョホールバル探検 [長年日記]
MALAYSIA&SHINGAPORE
マレーシアに遠征してまいりました。そのあとはまたローカルのおうちでディナーっす。
●1/国境に向かうバス。アジアの他の国境のように騒がしくないっす
●2/イミグレを超えたとたんに雰囲気ががらりと
●3/バススタンドでする
●4/マレーシアカレーを初試食
●5/雑貨屋もアジアっぽい
●6/ゲームセンターあり。全部日本語やん
●7/おねいさん、こっちゃ向いてくれ
●8/マレーシアのマクドナルド
●9/ギターショップを発見。さてさてどんなのがあるか…
●10/ちなみにヤマハのパシフィカが最高機種でする
●11/国境付近だけはきれいです
●12/国境だ。シンガポール側→マレーシア側
●13/手作りのフィリピン食。
●14/溶かしたチーズとビアをっ!
それでは写真をどうぞ。
2004-01-13 タイでの生活。 [長年日記]
THAILAND
たった3日しかいなかったタイランドですが、おもしろい出会いがあったし、SOGOOD!!!!でした。泊まったのはMAMA`Sというゲストハウス。これまで泊まっていたfRIENDLYが閉鎖してしまったため、定宿がなくなっていた自分にとって、久々の何も知らないバンコクドミでした。トラベラーズロッジは何かテンションがあわなくてパス。この季節だったらおもしろかったかもしれないけれど。MAMA`Sは前から良いうわさを聞いていただけあって、過ごしやすい。睡眠はお金をけっちったので、ちょっと寝にくいかなぁ。でも、寝たのは正味のところ1日だけ。2泊目は友達になったぐっち君とマッサージ嬢+マッサージオカマ(?)とオールだったので宿には帰らずです。やっぱり、カオサンにいると夜更かし+デブになるもんですな。友人になったぐっち君はイスラム圏から帰ってきたので、溢れかえるほどのメシと酒、ミニスカートに目がビー玉のようになっておりやした。自分も帰りに寄ったら同じ症状が出ることでしょう。2004-01-14 ありえない [長年日記]
BANGKOK&DELHI
前夜の遊びすぎでフラフラになって飛行機に乗りましたです。空港への道も、フライト待ちも、フライト中もほとんど記憶にないです。気が付いたら着いちゃいました。インディアに。ほんと空港は相変わらずの雰囲気。閑散としているわけでもなく、熱気があるわけでなく。さて、ダマしてやろうか、というヤツらが寄ってくる、はず。だけど、誰も来ず。leh行きのフライトは明日なので、国内線空港に行ってノンビリしてもいいし、デリー市内に出ても別にそれはそれでいい。ということで、デリー行きでも、国内線空港行きでも、何でもいいからバスがきたら乗ってやろう、とボケっとしておりました。そしたら、ぽつりぽつりと普通の話をする人がやって来て暇つぶし。
その中の一人が、「ディレイしているフライトに友人を待っていてまだ時間があるから送ってあげよう」などといい始めましてですな。ダマされる機会がやって来たか?などと思ってほくそえんでいたわけですよ。そして乗ったですよ。わくわくとどきどき。さぁ、おいらもついにダマされるときがきたか?などと興奮していると「実はトラベルエージェンシーやってんだよね」「今日もお客を迎えにきているところさ」「オマエはいまからどこへ行くんだ?」などと聞いてきてですね。これは大漁だ、王道だ、などと腹をくくり始めたっすよ。インド人たくさんに囲まれて高いツアー買えってか?なんて具合に。
そしたら国内線空港に着いちゃった。。。ダメだ。インドでダマされる道にはまだ遠いようです。ぐったり。会社名はハイランドツアーエージェンシー。ヒマーチャル&カシミールエリアのツアーを扱っているとか。ここはまとも。つことで写真をアップっす。
●1/インディラガンジーについた
●2/さぁこい、悪人ども
●3/着いて飲み物でも、と思ったらmilkbarなるものを発見。売ってるものはミルクトラッシー。なるほろ。
●4/ラウンジで食事。100Rsって…高いぞ。おい。
●5/高いのでガラガラ。でも、寝させてはくれなかった。
2004-01-15 ラダックに到着 [長年日記]
DELHI→LEH(LADAKH)
ついにラダックに到着。デリーからのフライトは相変わらずサイコーでおます。勘違いかもしれないけれども、遠くにカンリンポチェ(チベット密教とヒンディー教の聖山)も見えました。いえ、見えました。こげ茶色の山並みをしばらく行くと、ずーっと真っ白なインディアンヒマラヤ山脈が延々と続く、ぶっ飛んだ風景。写真を撮るなと言われてもんなもん撮りまくりです。激写20枚。おそらく手ぶれ込み…。宿は旧市街が広がるOldLadakhのTAKG/H。土の道をずっといったところにある。それを覆う氷や雪。そう、ここは厳冬の地。と言いたいところだけど、なんかあったかいっすよ。思っていたよりも。気温は上が5度、下がマイナス10度ってところでしょうか。北海道のほうが寒いかもしれません。いまここで過ごしやすいのは大歓迎なんだけど、本当にいけるのか?ザンスカール氷の回廊へ。氷が薄いのだけは勘弁してほしいです。
ゲストハウスの屋上に上がると360度に広がる大パノラマ。すぐそこまで差し迫った王宮。夕日が沈み行くザンスカール山稜、宿はバター茶の大接待。寝るときには湯たんぽをもらえます。あなたも、ぜひ。
●1/さぁ、デリーから出発
●2/大空へ!
●3/機内食である
●4/氷に覆い尽くされた山々
●5/インダス川が見えてきた〜
●6/着陸体勢に入る飛行機
●7/広すぎるゲストハウスの部屋
●8/ゲストハウスの屋上から
●9/王宮をメインにもう1枚
●10/2年前にダライラマを見たお寺
●11/僧がたたずんでいた
●12/チョウメンを食べることにした
●13/沈み行く太陽
●14/ゲストハウスの屋上からの夕暮れ
●15/ゲストハウスの家族とまったり。
では、しゃしんをどうぞ。
2004-01-16 ナマステ、ジュレー、タシデレク。 [長年日記]
LEH(LADAKH)
まだ滞在2日目にして、いろいろと知り合いが増えました。オフシーズンだけに旅行者自体が珍しいのか。それとも白人ほどとっつきにくくもないからか。おおよそ仏教徒の日本人はけっこうモテモテである。ひとりはチベタンフードレストランのコックとして腕を振るっているロブサーン。マイソール(インド南部のチベタンタウン)出身。ここのレストランは野菜をケチらないので味もよく、ローカルに人たちでいつも満席。店を閉めてから夜中にチャウメン(ヤキソバ)をおごってもらう。もうひとりはツーリストエージェンシーで働くファルザン。ラダックとほど近く、今回のトレッキングの目的地であるザンスカールのカルシャ村出身。彼との出会いで大きく運命が変わる予感がする。実はこのトレッキング、未経験者には本当に難しいもので、経験者がいないと川を渡るときに氷が厚いポイントが分からないのである。彼が提示してくれたスペシャルプライスのおかげで、金欠気味の自分でもガイドを雇えることにになった。彼と出会わなければ、おそらくは単独で突っ込んでいたはず。親や元勤め先関係の方々にはとても詳細を説明できない旅になっていたところだ。コッソリ人生から好転!これで大手を振ってザンスカールに向かえます。
今日はひとつ観光しました。シャンティストゥーパという仏舎利塔と寺院。日本山妙法寺というところが建てた仏教寺です。南無阿弥陀仏と書いてあるのはもちろんだけれども、トイレに「OTEARAI」と書いてあるのは笑えました。現在のところ、高度障害は一切なし。3700m、なんともなし。当たり前とは言わないけれども、そりゃあ1年ちょい前に5000mを何個もチャリで越しているのだから、それぐらいのオツリがあってもええっしょ。
みなさーん、おいら、めちゃくちゃ元気です。
●1/シャンティーストゥーパからの眺め
●2/ゲストハウスのアマレ(おかーさん)
●3/今日も屋上へ
●4/今日も王宮を
●5/ゆっくりと働くおじさん
●6/ここが今回のたまり場、ニューチョイスレストラン
●7/ソンブー君は麺をつくる
●8/麺の山
●9/テキパキと働くスタッフたち
●10/できたてチョウメンだぁ。
では、今日も写真をばっ。
2004-01-17 泥仕合と民主主義 [長年日記]
LEH(LADAKH)
「今日は北の池でアイスホッケーの試合があるぜ」。あさからやる気になる情報をゲットしてしまった。こりゃ行かねばならんだろ。ということで、おやつのチャパティーをポケットに忍ばせて北の池とやらへ。
丸い池をいっぱいに使ってスクエアが描かれている。しばらくすると、これから試合をすると思われる面々が練習をはじめた。ぼろぼろのユニフォーム。手書きの背番号。何人かは帽子もかぶらず、何人かはコンビニで売ってそうなうすでの手袋でスティックをふりまわす。試合は泥仕合だった。これでもか、というほどの。
第二戦目。こんどは雰囲気がガラリと変わった。なんと白人チームの登場である。防具は最新鋭。ひょろっとしてメガネをかけたヤツがいるな、と思ったらテレビカメラのようなものをまわし始めた。リッチである。彼らはおそろいの白いユニフォームを身にまとっている。バスケットボールで有名なシカゴブルズをそのままパクったものだ。チーム名はカナダハイコミッションチーム。デリーで仕事をしている彼らだが、シーズンになると国際親善もかねてわざわざデリーから飛んでくるのだとか。
先ほどの勝者のスピトクとの試合がはじまった。人数はギリギリ。装備は遠くおよばない。そんなスピトクだったが、この試合は本気モードだったのか、どんどん押し込む。だが、ゴール寸前でいつも失速。カナダチームのディフェンスは堅い。そしてカウンター気味に攻める。しかも人数に余力があるので、疲れる前に、またはオフェンスとディフェンスのときなど、うまく人海戦術を使う。スピトクが1点取った。相手のクリアミスをショットしたものである。カナダチームも点を取った。こちらは教科書に載りそうなほどのきれいなカタチ。サイドをひとりが駆け上がり、ラストパスをゴールラインと平行に供給。ゴールゲッターは打つだけ、という状況だった。
試合はスピトクが1点差で惜しくも負けた。場内は両チームに惜しみない拍手。ゲストハウスに帰って、さて、と思い立ち、体を洗ってみた。風邪を引いてしまった。ラダックの気温はアイスホッケーができるほど低い、ということを忘れていたのか、中途半端にこぎたないせいか、思わず。。。
ふむ、以後、体は洗わないべきであろう。
2004-01-19 スピトクグストール1日目 [長年日記]
LEH→SPITOK→LEH(LADAKH)
まつりである。日本にも古くから伝わるものが多々あるけれど、こちらのものはいったいどんな感じなのか。そこんとこをはっきりさせるべく、あさ9時と超早起きをして、スピトクゴンパに行ってみた。たいていのゴンパ(チベット寺)は高台にある。そこそこの規模の村には、必ずといっていいほどゴンパがあり、そのほとんどが村で最も標高が高いところに建てられているのだ。スピトクの場合も例外ではなく、高いところにある。本堂がひとつの山の頂上にあるのだが、まだその上にはラカンというお堂もある。ひととおりお参りする。高台からの見晴らしはすばらしい。本尊を拝んで、窓から下の広場を見るとすごい人だか りである。広場のまん中で行われているチャムという仮面舞踏を見ようとしているのだ。
自分も本尊のあるところから一気に階下を目指した。ひんやりとしたコンクリートの上にキャンプ用のマットを敷いた。子ども、おばあさん、幼児を抱いたおかあさん、だれかれ構わず、マットに突っ込んでくる。現地人もやはり寒いのだった。
チャムは死後の世界観を表現しているという。それと同時に場内に結界を張って、清めの儀式を行い、次の一年の平安を祈る。もう少し詳しくなりたくて鹿やら骸骨の仮面の踊りのときに由来を聞いたけれども「死後の世界のことは詳しく知らないほうがいいかもしれない」と諭されてしまった。グストールのあと、来場者のみんなはひなたぼっこをしていました。
自分も、やってみたらきもちいい。じゃあ今日の写真っす。
2004-01-21 オール明け [長年日記]
LEH(LADAKH)
インドでオールをした。現地の人が飲む場で、こうなったのははじめてのこと。実はインドやチベットの人はオールをしたがるのに酒に弱かったりする。他のスタッフが到着したときには、みんな目もうつろ。あきれられる。空になったRUMの瓶がゴロゴロと。日本語講座から、ヒンディー語講座、で結局はこうなるの?っていう女性関係の話。いや、マジで聞きましたよ。だってラダックやチベットの人って大家族で住んでいるわけですよ。で、ステディー(死後)な人ができたら、どうやって、ああやってこうやって、んでもってそうなるのか。答えを聞いたら簡単でした。
アウトサイド。草も木も生えてへんやん!と切り替えしたら草や木のあるアウトサイド、とのこと。夏にラダックへ行く人、緑色のゾーンは要注意です。
昼は別の現地の人の家でゴハンをいただいたりして、夕方にはまたもやニューチョイスレストランへ。結局、昨日オールした面々がまたも集まる。今夜は、日本ではないほど原始的なトランプマジック大会。それでも、わっはっは。
電気の通電時間も終わって、ロウソク暮らしになったため、今日はなんとかお開き。帰り道、犬にほえられる。昼は従順。夜はキャンキャン。夜寝ろ、よるに。
2004-01-22 いろいろ [長年日記]
LEH(LADAKH)
今日はピャンというところに行ってみようと計画を立てていたのだけれども、起きることができずに断念した。完敗である。とりあえず、今朝もレストランに行ってみたらテントゥクが出てきた。いただきやす。(写真)《本日のぼやき》こっちにきて困っているのが回線スピードの遅さ。調子が悪いと40分でhotmailのメッセージを3つしか見ることができまへん。アップなんてもってのほか。もうすでに500枚近くのデジカメ写真を撮っていて、何枚かはアップの準備もできているけれども、うまくいきませんなぁ。
あと、寒さのせいで電池やらiPODの生存期間が短すぎるのも問題ですわ。いままで4本の単3電池で100枚近く撮っていたけど、こっちにきてからは20枚ちょっと。売っているのもショボイわけで、けっこうな問題です。がんばれ、ビッグカメラの安売り電池。というわけで、どなたか良い電池の確保できるポイントをご存知ないかと。
電気関係の話なので、もうひとつ。ここ、水力発電なんですわ。ということで明かりがつくのは17〜23時まで。あとは真っ暗闇です。最近、行きつけのレストランのコックさんと友達になって、いっつも夜飯をご馳走してもらっているわけですが、だんだん地酒が出てきたり、ザンスカール行きの事を相談できる仲になったり、と帰るのもどんどん遅くなる一方。一昨日はオールだし、昨日は12時過ぎ。帰り道ではアホ犬がワンワンと吠えてるし。懐中電灯が命綱の生活ですよ。
2004-01-23 2連敗 [長年日記]
LEH(LADAKH)
uracci炎上!1回を持たずにノックアウト。スポーツ新聞調に書くとこんな感じの日でした。とにかくあさ起きたら、バスなんてもう行ってしまって、さらには到着しちゃってるよ、という時間。今日もピャンは遠し…。ひたすら書きためていた日記とメール返信をする。夜はネパリーロサール(新年)へ。大家族のもてなしを受けながら新年をこうやって迎えるのか、といろいろ考え事。だって、近所の人や親戚がかわるがわる新年のあいさつにやってくるし、昨年の無事に感謝し、今年の無事を祈るという、日本にもごく普通にあったはずの文化が残っているからだ。デパートやスーパー、パチンコ屋には1/3まで開いてほしくないと思う、ここ数年だったなぁなどと。
酒も入って、ほろ酔いで帰る。総勢6名。しかし、ここでインド警察があらわれる。やたらと無根拠に疑う。何者だ、と。いや、旅行者だ、と。そんな普通の返答が通じずるわけもなく、パスポートを見せろ、と言われる寸前まで問答は繰り返される。友人のTAKAにはインドの敵国パキスタンと怪しい国アフガニスタンのVISAがある。また自分には戦争を繰り返し、国境問題も解決していない中国のVISAが4つもある。ピーンチ。
ところが、ローカル友人のうちの一人であるリンチェンが事態を収拾してくれた。彼は政府関係のオフィスで働いているため、自分の客だ、と言い負かしたのだ。う〜ん、不条理な夜中であった。インドの警察は、ここでもタチが悪い。小銭ほしさなのか、パキスタンとの近さにセンシティブなのか…。
2004-01-24 もちろん3連敗! [長年日記]
LEH(LADAKH)
なにも理由はない。きっと起きる気力がないのと、寒すぎるのだ。根本的に。けさは9時となかなか惜しい時間に起床。9時のバスに乗れず、余計にやりきれない感じでスタートさせてしまう。レストランに行ったらTAKAが病院に行くところだった。どうやら頭痛がするらしい。おもしろそうなので着いていった。ここで、おもしろいアイデアが膨らむ。むほほ、なんとかこれを本にっ!
診察はなんと薬込みで2Rs(約5円)。これはインドだから安いわけではない。この前に惜しくもなくなってしまったボグラリンポチェという人がラダックの現状を政府に訴えたり、州議会に案を通したりしてできた制度である。ちなみに自分はプリーというところで熱が出て医者にかかったことがある。なんと、往診と薬で800Rs。ということで、これはいくらインドでも安すぎ。診断の結果は、バクテリアによるものらしい。インドに合計で1年以上滞在し、慣れから生水を飲んでいたからだという。しかし、いまやそれも3日の投薬ですむとかなんとか。
写真はロブサーンと食べたポロンタ。
2004-01-25 ついに実現。 [長年日記]
LEH→PHYANG→LEH(LADAKH)
やっとピャンにいける日がやってきた。今日と明日は友人のリンチェンがホリデーなので、自分のバイクで連れて行ってやろうと申し出てくれたのだ。ありがたい。これで朝のバスに悩まされるこたぁない。でも、こんなに寒いのにバイクで2ケツ?スリップするような気が…。けっかオーライのたびの記録を写真で、どぞ。
●1/峠で一休み。凍ってる道とかがあって、めっちゃコワイっちゅうねん。
●2/この季節に訪問する人は少ないから暇なんだ、とゴンパの中を案内してくれる僧。
●3/本尊はカギをかけて厳重に管理されていた。
●4/あたり一面には精巧な仏画が!
●5/経文を保存している部屋は光り輝いていた。
●6/しずまりかえっていた本堂。
●7/さらに奥には仏像がたくさん。
●8/ピャンゴンパよりも少し山側にあるグルラカン。中には3体の仏像。ミラレパとか。
●9/別アングルっ!
●10/ラカンのカギの持ち主の家へ。暖房が暖かい。
●11/まぁ、チャイでも。とすすめてくれる。
●12/帰り道の池。チャダルトレックには行けるのだろうか?
●13/こどもたちがスケートをしていた!
●14/リンチェンもスケートのポーズ!
2004-01-26 延期 [長年日記]
2004-01-30 チャダルトレックへ。 [長年日記]
LEH→CHILING(ラダック)
朝、なんとTAKAが寝坊した…。ロブサーンとガイドの二たり、あとは自分という4人組で起こしに行き、パッキングをせかす。9時にすべての準備はできた。タクシースタンドでCHILINGまでのタクシーを探すしたものの、1458Rsと高い。これはガバメントが設定した公定レートである。あるものは「値下げなどできん」と言い張り、またあるものは無言でガバメントから配られている公定プライス表を見せてくる。ここはダメだ。頭がかてぇ。きちんと商売せんかい!ということで、ローカル用のタクシースタンドへ。ここで誉め殺しを敢行し、なんとか1000Rsで車を用意することができた。昨晩から断続的に降り続いている雪が、価格の底をぐぐっとあげているようだ。そりゃそうだろう。今日は道中のすべてが雪道なのだから。レストランのスタッフたちに手を振られ、グッドラックと送られて、車はCHILINGに向けて走り始めた。スピトクゴンパの前をとおる。グストールのときに来たような雰囲気は一切ない。雪国の寺。動くものは雪と車だけ。別世界のようである。ピャンへの分岐を過ぎてしばらくいくと、標高が200mはありそうな崖の上に出た。インダス川が見える。さらに5分後、そのインダス川に注ぎ込む支流を発見した。これがザンスカール川!この上を歩くのか、というなんともいえない複雑な気持ちになった。あれほど待ちわびていたにもかかわらず、外は極寒。氷の世界。しかも雪が降っているのであたりは薄暗い。
スタンジンがバーナーの燃料を忘れるという大ミスのため、車は少し行き過ぎてNINMUというところで停車した。燃料を買い足し、しばしの食事休憩。店の中にはストーブがあるのだが、それでも寒い。テントゥクというスープとモモを頼み、思いっきりチリソースをかけて食べる。少し狂っていることを自覚する。何をやっているんだ?おれは。
車はザンスカール川の付け根を経由して、さらに奥地のCHILINGへ。途中でフランス人のチームがテレビ撮影をしていた。氷の上に人を歩かせて撮影している。氷は堅そうだ。と、思ったのもつかの間。川はみるみるうちに広がり、ひとつの橋を渡るころには氷なんて見つけることも難しくなっていた。本当に歩けるのか?さらに進むとブルドーザーが立ち往生していて、「んなもん進めるか!」という状況に。しかしながら、なんとか彼らはすれ違う。ときに激烈にへたくそで、ときに信じられないことをやってのけるのもインド人ドライバーの資格なのだ。ちなみにブルドーザーのキャタピラの1/3は崖という名の空間の上にあった。からっぽ。
その地点からほどなくしてCHILINGにたどりつく。「え?ここ?」とは日本人グループの驚きの声。ちょっとだけ家が立ち並んでいて、あとは大自然の中だからである。泊まるところはない、はず。レストランとだけ書いてある寂れた店があった。どうやらそこに泊めてもらえるらしい。しかしながら、その推測はハズレた。レストランの敷地の外にある簡易の小屋(屋根はある一面だけ壁はない)に泊まれというのだ。もう、あきらめることにした。明日からもっと環境が過酷になるのだから。ウォーミングアップのつもりで寝てやる、と心に決める。
チャイを飲んで、日没まで暇もあるので、ゴンパにでも行ってみようということに。すごい。なかなか格好いい(?)仏像がたくさんあり、仏画も他のものとはちょっと色彩が違う。デジカメでパチリ。ゴンパを降りてきて、宿泊スペースの近くまできたときにチャダルでこちらに来たザンスカーリーの一家と会った。鼻はたれているけれども、子どもまでたくましい。
夜ゴハンはマギーとモモ。モモはロブサーンがつくってくれたものだ。どんどんあたりは薄暗くなっていき、ついには何も見えない闇につつまれた。川だけがゴウゴウと激しい音を立てている。明日から本番である。
★CHILINGの情報
チャダルトレックの拠点として以外にもラダックでは有名な街。その理由は金細工。金と銅に細工を施したスプーンなどが主な生産物。ゴンパあり。仏画もさることながら何体も立派な仏像がある。民泊はいけそう。ダメでもレストランに頼んで寝かせてもらえると思われる。日曜日にのみレー往復のバスあり。レー出発が早朝。チリン発は昼頃。(冬)
2004-01-31 チャダルトレック1日目 [長年日記]
CHILING→どこぞの洞窟
ついにチャダルへ。朝ゴハンは当初の予定どおりチーズとチャパティ。そしてチャイ。湯気をガンガン立てているチャイ。なんかアウトドア派の朝である。実は昨日の夜、雪が降った。ビニールで覆った屋根があるとはいえ、所詮は外。起きたら、シュラフの一部に雪が積もっていた。大気中に逃げて行く体温に溶かされて、再び凍った雪がシュラフの内部に忍び込む。溶けた雪の一部はシュラフを伝って背中や尻の部分で水たまりとなったため、快適とはいえなかった。寒い朝。それをほぐすチャイ、一杯。歩き始める。天気は雪からくもりへ、そして晴れへ。わずか1時間の間にグッドコンディションができあがった。しばらくは道を歩く。理由はふたつ。ひとつは単純明快に道があるから。そして、もうひとつは、氷が弱いから。エメラルドグリーンの色をした川がゴウゴウと音を立てながら流れていく。ここに落ちたら一巻の終わりであることは素人の目にも見て取れた。
しばらく進んで、ガイドのソンブーとスタンジンが川に下りる。ここからなら大丈夫だ、と。ソリに荷物を積み込み、それぞれのザックを背負って、旅は始まった。
ただ、今年は暖冬だという。氷はところどころでミシッと音を立てる。少し歩いては信用できない氷を避けて河原を歩く。ハンドボールやサッカーボールのような大きさの石が隙間なく詰め込まれた河原。これもチャダルトレックである。単に氷の上を歩くだけではない。ときには河原を歩いたり崖をよじのぼって高巻きしたり。1時間ほど河原を歩いたあとは、再び氷の上へ。雪が降っていたので色は白く、太陽の光をギラギラと反射する。氷の中の様子が見えないのは、とても心臓に悪い。その一歩、を踏んでしまった瞬間に頭の中で何かが閃くときがある。頭から体へそのシグナルが届く前に、たいていの氷はミリリッと頼りない湿った音をたてるのだ。あたりは絶景である。で、あるが今日の調子ではあたりを見渡す余裕は少ない。草も木もない茶色の山、エメラルドグリーンの川、白い道。蒼い空の一部には強風にさらされた雲が逃げていく。それがすべて。その数個のコンテンツの中から、いま自分は下に広がる白い部分だけを見ていた。これが、チャダルトレックか。
15:00に洞窟を発見。ここで選択を迫られる。進むか、ここで停泊するか。今日は効率のよい氷の上ばかりでなく、とても進むのが遅い河原を歩いた。日程的には前進であるが、この氷の調子では次の洞窟までノープロブレムでいける保証はない。全員で相談した結果、前進でいこうということになった。山と違って、リーダーはいない。経験を何度も持つスタンジンの意見を聞いて、雇い主である日本人たちが決断を下し、さらに話し合うというスタイル。全員一致で前進となった。
しかし、これが吉とはでない。エメラルドグリーンの川はどんどんと川幅を増し、ついには白い部分がなくなってしまった。大きな岩でブラインドになった部分には氷がなかったのだ。しかも今度は河原ではない。3〜5mほどの小さな崖の上なのだ。歩くのはしんどいだけでいいけれども、持っている荷物をソリで引けないため、さらに負荷が増す。これがこたえた。18時過ぎ、暗くなり始めたころ、やっと氷の道の上に出た。19時。やっともうひとつの洞窟を発見する。今度は、間違いなく吉。10人は寝ることができそうな、とても広いスペースでゆったりとくつろぐことができるからだ。マギーとチャパティーで腹を膨らませる。最後の一杯は、昨日みんなで買ったローカルのRUMをチャイで割って暖を取った。
月がだんだん大きくなってきている。夜中も明るかった。
おかだ [をを。いってらっしゃ〜い。ご無事で。 つーか、マメに更新しろよ(笑)。毎日見るから。]
uracci [しますってば。サムヲとはちゃいまっせ〜。12/18以前の記事を削除したいんだけど、できなかったっす。あらー]
はくはく [ぐっどらっく〜〜! 毎日楽しみに見ることにしまする♪]
Shino [ついに再開したなー。 今回は漂流も台風襲来もなく 飛行機は飛んだんでしょうか? ?]