2004-01-30 チャダルトレックへ。
LEH→CHILING(ラダック)
朝、なんとTAKAが寝坊した…。ロブサーンとガイドの二たり、あとは自分という4人組で起こしに行き、パッキングをせかす。9時にすべての準備はできた。タクシースタンドでCHILINGまでのタクシーを探すしたものの、1458Rsと高い。これはガバメントが設定した公定レートである。あるものは「値下げなどできん」と言い張り、またあるものは無言でガバメントから配られている公定プライス表を見せてくる。ここはダメだ。頭がかてぇ。きちんと商売せんかい!ということで、ローカル用のタクシースタンドへ。ここで誉め殺しを敢行し、なんとか1000Rsで車を用意することができた。昨晩から断続的に降り続いている雪が、価格の底をぐぐっとあげているようだ。そりゃそうだろう。今日は道中のすべてが雪道なのだから。レストランのスタッフたちに手を振られ、グッドラックと送られて、車はCHILINGに向けて走り始めた。スピトクゴンパの前をとおる。グストールのときに来たような雰囲気は一切ない。雪国の寺。動くものは雪と車だけ。別世界のようである。ピャンへの分岐を過ぎてしばらくいくと、標高が200mはありそうな崖の上に出た。インダス川が見える。さらに5分後、そのインダス川に注ぎ込む支流を発見した。これがザンスカール川!この上を歩くのか、というなんともいえない複雑な気持ちになった。あれほど待ちわびていたにもかかわらず、外は極寒。氷の世界。しかも雪が降っているのであたりは薄暗い。
スタンジンがバーナーの燃料を忘れるという大ミスのため、車は少し行き過ぎてNINMUというところで停車した。燃料を買い足し、しばしの食事休憩。店の中にはストーブがあるのだが、それでも寒い。テントゥクというスープとモモを頼み、思いっきりチリソースをかけて食べる。少し狂っていることを自覚する。何をやっているんだ?おれは。
車はザンスカール川の付け根を経由して、さらに奥地のCHILINGへ。途中でフランス人のチームがテレビ撮影をしていた。氷の上に人を歩かせて撮影している。氷は堅そうだ。と、思ったのもつかの間。川はみるみるうちに広がり、ひとつの橋を渡るころには氷なんて見つけることも難しくなっていた。本当に歩けるのか?さらに進むとブルドーザーが立ち往生していて、「んなもん進めるか!」という状況に。しかしながら、なんとか彼らはすれ違う。ときに激烈にへたくそで、ときに信じられないことをやってのけるのもインド人ドライバーの資格なのだ。ちなみにブルドーザーのキャタピラの1/3は崖という名の空間の上にあった。からっぽ。
その地点からほどなくしてCHILINGにたどりつく。「え?ここ?」とは日本人グループの驚きの声。ちょっとだけ家が立ち並んでいて、あとは大自然の中だからである。泊まるところはない、はず。レストランとだけ書いてある寂れた店があった。どうやらそこに泊めてもらえるらしい。しかしながら、その推測はハズレた。レストランの敷地の外にある簡易の小屋(屋根はある一面だけ壁はない)に泊まれというのだ。もう、あきらめることにした。明日からもっと環境が過酷になるのだから。ウォーミングアップのつもりで寝てやる、と心に決める。
チャイを飲んで、日没まで暇もあるので、ゴンパにでも行ってみようということに。すごい。なかなか格好いい(?)仏像がたくさんあり、仏画も他のものとはちょっと色彩が違う。デジカメでパチリ。ゴンパを降りてきて、宿泊スペースの近くまできたときにチャダルでこちらに来たザンスカーリーの一家と会った。鼻はたれているけれども、子どもまでたくましい。
夜ゴハンはマギーとモモ。モモはロブサーンがつくってくれたものだ。どんどんあたりは薄暗くなっていき、ついには何も見えない闇につつまれた。川だけがゴウゴウと激しい音を立てている。明日から本番である。
★CHILINGの情報
チャダルトレックの拠点として以外にもラダックでは有名な街。その理由は金細工。金と銅に細工を施したスプーンなどが主な生産物。ゴンパあり。仏画もさることながら何体も立派な仏像がある。民泊はいけそう。ダメでもレストランに頼んで寝かせてもらえると思われる。日曜日にのみレー往復のバスあり。レー出発が早朝。チリン発は昼頃。(冬)
2005-01-30 夕刊ウラ、プロ野球を斬る。
kobe
野球とサッカーの差は広がる一方だ。海外に出かけるのを生業としている自分には、自己表現の可能性を国内にしか持てない井川(阪神タイガース)や上原(読売ジャイアンツ)がかわいそうに見えてならない。彼らに「中年になってからメジャーに挑戦しなさい」と周囲がムチャを言っているは明白であろう。サッカーの大久保を見よ、小野を見よ、俊輔を見よ、ヒデを見よ、カズを見よ。魂の輝きとは何か!サッカーを少しでも知る人ならば、まだまだ海外へ行く選手が足りないと感じているだろう。しかも、若ければ若いほど良いと考える。なぜならば、海外での経験を日本代表に活かしてほしいからだ。サッカーにはワールドカップやアジアカップといった国際試合が何種類もある。だが、野球には国の威信がかかるような国際試合はない。だからプロ野球界は旧体然としていられるのだ。
ルールは破ってはならない。ふたこと目にはこの言葉が出てくる。確かにプロ野球選手となるために、彼らはプロ球団と契約をした。書面にハンコを突くという拘束力は強力なもので、彼らが今回の件で裁判をすれば敗訴するのは間違いない。しかしながら、そのルールは本当に時代に則したものだろうか?野球の契約もそうだが、憲法の改訂も然り。いま変化を求められている規則は、現在と違う条件下で作られたものばかりである。まさかGHQが、いまの世の中を予期していたわけでもあるまい。本題に戻すと、日本人アスリートの肉体が欧米スポーツ界に適応しつつある。その事実は、みんなが気付いているはずだ。先の五輪など、その良例であろう。これまでは技術と根性だけで戦ってきたため、獲得メダルの総数は少なかった。しかしながら、アテネでは『パワーと技術を活かすスポーツ』の躍進が目立ったのは記憶に新しい。野球もこの種のスポーツではないだろうか?それはイチローの活躍が雄弁に物語っていると思うのだが。
日本人という人種は変化を好まない。そして、野球は世界的に見てマイナーゆえに、国際的に展開しなくても問題がないスポーツである。このことにあぐらをかいて、儲けているおっさんたちがいるから、野球はいつまでたっても変われないのだ。野球をベースボールにしてくれ、なんて言うつもりはない。パンチパーマの時代が再来してもいい。アメリカ的な文化を受け入れて、日本文化を崩壊させるのは、もうたくさんだ。望みはひとつ、憧れの存在だった野球選手、おもしろ味が分かってきた野球(ベースボールではない)を、もっともっと身近に感じたいのである。プロ野球はおもしろい!スゴイ!かっこいい!と思わせてほしい。「子供に夢を」とよく選手は言うけれども、彼らは大人にも夢をくれているじゃないか。すごいプレーが出た、それだけでぐぐっと感動できるんだ、おれたちは。その延長戦上として、井川や上原が本当の意味で爆発してくれること願っている。だから…
死ぬな、殺すな、プロ野球。
※
これとは別に、とある問題を聞いた。広島市民球場の改築問題である。現球場をつくったときに、市民一丸となって広島東洋カープを支えた樽募金が、いま復活しているらしい。これは悪くないのだが、建てる球場が問題なのである。ドームで人工芝にするというのだ。
まずはドーム球場。こんなものは野球観戦に必要ない。雪深い札幌と宮城には必要となるときもあるだろうが、自然と一体となって楽しむスポーツである。風が強い日、雨でドロドロになる日、いろんなシチュエーションでその日だけのドラマが展開される。野球ならではの味は濃い方が、よかろう。だからか、東京ドームや大阪ドームでの観戦は甲子園や神宮よりも楽しくない。あと、気圧のせいで球が飛びやすすぎる。東京ドームの看板直撃なんて、自然一体型球場ではありえない。雑な試合になってしまうし、何よりもフライが上がったら球の行方が見えにくい。
次に人工芝。こんなものは語るに及ばないだろう。選手を故障させてどうする。特に広島カープは練習が激しいことで知られる。一時代前の話だが、緒方・野村・前田・江藤がそろって出ていれば、優勝できていた年は何度かあった。しかしながら、現実には厳しい練習や運の問題もあって、四人中ふたりしか試合に出ていない日が多数を占めたのである。昨年、首位打者を取った赤ゴジラこと嶋選手も10年来の努力が実ってのブレイクといわれているのだから。そんな球団が人工芝で練習したら、えらいことになる。敵ながら、心配してしまうのは当たり前のことであろう。
みなさん、広島にドームはつくらせないようにしましょう。もともと資金が少ないんだから、ドームはやめて補強や選手の年棒アップ、ファンサービスに回してくださいよってことです。
joy [さすが。野球とGHQをひとつの記事で見られるとは。野球少年がピークにおいているのが甲子園(高校生)てのも独特ですよね..]
かんりにん [joy>あら、ここに返信があった。予想外。高校野球連盟の存在はアカンわなぁ。いや、海外のこをと書いたサイトだしさ、な..]