2006-03-17 [長年日記]
Vientian_LAOS
昨日より三十路をたどっております。わーわーひゅーひゅーどかーん。
さてはて、日記の更新ができず、何をしておったかというとですな。いま、ラオスにいます。前の日記のときから、関西に車で移動して、そっから旅をしておりました。それでは、そのつたない、駆け足旅のレポートを。
●大阪港
学生以来の、大阪港出国でした。ターミナルも何も変わってませんなぁ。ちなみに船旅でのパスポートの出国印ですが、関空とはちと違います。関空は「KANSAI」ろいうハンコなんですが、大阪港は「OSAKA」なのであります。
●船旅
大学生が少なくて、ちとシーンとしたイメージでしたわ。自分が大学生に乗ったときは、他にも大学生がたくさんいて、そいつらとは今もいい友達です。この船内ですが、乗ったのは蘇州号ってやつです。展望温泉がついていて、ビールは免税価格の150円(←350ml/200円500ml)、ガバガバのみまくりましたわい。
●上海
久しぶりに大学のときの同級生と再会!!!上海は、かわっているところはかわってたけど、かわっていないところはかわっていない。うまくいえないけれども、気質みたいなものやスラムの場所なんかはまったく同じ。痰吐くぜー、ペッ!手鼻かむぜー、ズベー。
●火車硬臥(寝台列車)
これも、もー中国式そのまんま。だけど、トイレの綺麗さがキープされてきたような気がする。以前は、ウンコ、足置き場をつくるために新聞紙を敷く→ウンコ…(繰り返し)、みたいな感じで、ウンコと新聞紙のダブルチーズバーガーやったもんなぁ。
●昆明
昆湖飯店裏の市場が完全に残っていて、かなりうれしかった。ここで二色火鍋を食らう!写真は後日。水晶餃子もうまい!やっぱ中国はメシうまい。
●ジョンディエン(香格里拉)
町の中心は漢民族に占領されている。うわー、こんなんやったっけ?てくらい、チベタンがいない…。どうしようかと、トボトボ歩いていると、腰に短剣をさしたカムパが農地を耕していて、近づいたら「こっちゃきてチャを飲みなさい」と、チャートゥンと何度も呼ばれたので誘われる。バター茶に次ぐバター茶。あとツァンパ。お返しをしてあげたいので写真を日本から送ってあげようと住所を聞くと、「文字書けないのよ」とゼスチュア。こりゃ、また来てあげるしかないね。
●大理
あっちの方々、僕を笑ってください。蔑んでください。こんなどシャンティーポイントに来ておきながら、あたしゃ仕事を数日しておりました。うわー、悔いが残る…
●寝台バス
2人×2列じゃなくて、1人×3列になって狭くなっちゃった。荷物も置きにくいし、寝るのに不安定だし、これは最悪の改良でしたな。
●河口-ラオカイ
初の国境。越えたら、ゆるやかにでなく、一気にベトナムになっちゃった。ディーゼル機関車に引っ張られながら、ハノイまで。現地人とたわむれながら向かう。
●ハノイ
いやー、ベトナム相変わらずですなぁ。商人がこすっからい。ユーラシア近辺旅でのこすっからさで、ベトナム(初級)、インド(中級)、モロッコ(上級)とよく言われているけど、自分はまったくそうは感じないなぁ。インド(優しい、余裕)、モロッコ(おもしろい、がんばってくれる)、ベトナム特に北(納得プライスまで落ちる率がほぼない、その上悪態をがんがんつかれる)みたいな感じ?それでも、そんなことばっか考えていたらおもしろくないからウロウロしてたら、うまくて安いビアホイホール見つけちゃったー。
●フエ
のんびりのんびり、ここは落ち着きますなぁ。相変わらず。ビールを毎日何本飲んだかわかんないよ。
●サワーンナケート
やっとメコン川を目の前に見る。この旅、ずば抜けたのんびりさ。夜は安全なゴーストタウンでした。それでもメコン沿いでビアラオ三昧。
●ビエンチャン
誕生日を迎えて三十路になった。メシもうまいし、ここもゆっくりなところですなぁ。て思ったら首都やんか!こんな田舎首都はめったにないぞ。ラオス、ちょっとだけだったけど、わしゃ気に入った。
てなことで、旅人が見たら、それ駆け足すぎで面白いの?という雑な内容です。アジアに詳しくない人が見たら、たくさんまわったねってところでしょうか。でも、今回はいろんなストックができたので、これでいいです。満足。惜しむらくは、やはりシャンティーか…。写真とかもアップします。1枚載せて、エッセイみたいなのがおもしろそう。
来週あたり日本だな。ではでは。
2006-03-22 it`s all over. [長年日記]
Bangkok_thailand
カオサンにたどりつく。いわずと知れた、バックパッカーの溜まり場である。もう、ここも10年来の付き合いになるわけで、ヘロイン中毒者がたまる宿とか、学生がわらわら集まる宿とか、女を買うオッサンたちとか、いろんなところを見てきた。年々、客層が若くなっている。すえた匂いがどんどん青臭くなっていったわけだ。客層が若年に飽和したかと思ったら、今度はタイ人のおしゃれ発信基地のような場所に変わってしまって、さらに手がつけられなくなっている。それが今のカオサン。
ぼけーっとバンコクに身を置きながら、ビアチャンを傾ける。すると頭の中で何かが弾ける音を聞いた。もう東南アジアはお休みにしても良いかもしれない。自分にはインドから向こうのアジアがシビれるし、掲載実績のあるアフガンや、こだわっているラダックを掘り下げる時期が来たのかもしれない。
もうすぐ帰ります。
2006-03-24 帰省すると出会えるもの [長年日記]
narita=kobe
成田にも関わらず、青春18切符を買って関西に帰省。実家に置いていた車を取りに行くだけのためだったけど、いやぁ久々のJR西日本はすごいですよ。離れてみて、ヤバさが分かった。いまどきアジアでもあんなのあらへん。
●驚いたこと其の一
米原から姫路行きの新快速に乗ったんだけど、車内放送のボリュームが小さすぎて何を言っているのかサッパリわからん。アジアでは「それデカすぎ!!!」みたいな感じなんだけど、とりあえずこの電車ではボソボソボソ〜っと、何かを不快なトーンでささやかれているイメージ。セクハラの方が内容が聞こえるから対処のしようがあろうというもの。気持ち悪い同性から耳に息を吹きかけられているかのような、生暖かい意味不明のサウンドが車内にかすかに聞こえるのだ。帰国してすぐだったので、車内で静かにするのがマナーの日本ってのを忘れて、もう大爆笑。「こんなオッサンにささやかれても困るちゅうねん」と大声で言うてしまいましたわ。
●驚いたこと其の二
新快速という特急のような電車に乗っていたので、普通電車とかを追い抜くときがありますよね。で、その向かいの電車を見ていたら…。行き先表示が半分くらいの車両にしか表示されてへん。残りは真っ暗。これも大爆笑。「おいおいクイズやっとるんか?」「いまどきインドの地下鉄でも行き先ぐらい言うてくれるっちゅうねん」と思わず突っ込んでしまう。
●驚いたこと其の三
トイレが壊れているのは仕方がない。「始発の米原からなんだから、不都合があったら車両を付け替えるべきでしょう」なんて当たり前の論理は、すでに通用しまい。で、京都の手前で小用に行きたくなり、殺虫剤をくらった後の蚊のような声の「…トイレは1両目と5両目にございます…」というアナウンスを、マグレで聞き取って行ってみると壊れてた。仕方がない、と5両目に向かったものの4両目と5両目の間は運転席があって行き来できない。尿意をこらえて内股で2両目まで帰るときに、また「ぃえー、トイレはぁいーち両目とぉ、ごー両目にございます。」と、壊れたラジオ+ヘリウム吸い込み声が言うではないか。あまりのタイミングに、ドッキリでも撮られてるんちゃうかとあたりを見回してもたっちゅうねん。結局、京都で大量の人が乗ってきたので、ひたすらガマン。その間にも、行き先表示のない列車や例の放送が…(フェードアウト)
2006-03-25 癒しの本質 [長年日記]
kobe_hyogo
帰省すると必ず寄る店がある。そこへは犬が決まった電柱に小便をかけるようなもので、もう行って食ってしないと心安まらないのである。そこは…神戸市垂水区にあるニンニクがむちゃくちゃ入ったお好み焼きの店「まゆみ」。店の命とも言えるニンニクの量は、そこいらの店と比較にならないほどすごい。向こう数日間は、影響を計算できなければ行くべきではないのだ。営業マンは口臭で商談が破談するだろうし、恋をするものはメイプルシロップを入れすぎたラテのような密度の屁を放つことは間違いない。余談だが、自分が大学一回生の頃、親父の車を借りてこの店へ行った。ちょうど今時分の晴れた初春だったので、使い終わった車の窓を少しだけ空けて夜中に車を返しておいたのだ。それでも、次の日に半泣き+ブチ切れという複雑な表情で親父が小遣い減額を宣言したのは言うまでもない。
当時よりもパンチが落ちたのは確かだけど、いまでも胃の中にまゆみのニンニクお好み焼きを入れなければα波やマイナスイオンが減る気にかられる。たとえ刺激や口臭という、一般的な癒しとは180度異なる効果があったとしてもだ。そして行った後は、必ず満たされる。心身ともに確実にリフレッシュできるのだ。なにも、お茶やお香、●●テラピー、坂本龍一やエンヤだけが癒しをするわけではない。今回の帰省で「こういうことちゃうか」と思ったのは、「決め事を守ること」。これが癒しの本質ではないだろうか?
もっと言うと、決め事を守ることの継続は必ず力を発揮する。人と人とはつながっているのだ。今回のことで言えば、実家に帰るときには「まゆみ」に寄るということを守っていたがために「久しぶりやな」とか「帰省してるんやろ、もっと食って行け」という密度の高い時間になっていった。そのつながりが増えたり太くなったりってのは実によろしいことだと思うのだ。
そして、世界を旅して接してきた宗教もこの方向性を持っているのではないかと思うようになってきた。自分は日本人で深く宗教と関わりがたい人種なので、ついつい「パンチの効いたお好み焼きを食らう」という煩悩最優先の決め事になってしまったのだが、もしかすると礼拝をしたり、懺悔をしたり、死んだら土葬にするのかとか火葬にするのかとか、死人に対して笑って送るのかとか泣き叫ぶのかとかってのも、そーゆーことなのかもしれないなと思うのだ。生きとし生ける者のすべてが、自分のルーチンワークを守っている。そして、人間だけがそのレールを踏み外す特権を持っているのだ。
2006-03-26 回顧録【大阪から出国じゃー】 [長年日記]
kobe_hyogo
海にはロマンがある。飛行機でバビューンと端折ってしまっては旅情も何もない。移り行く景色を目で見るだけでなく、肌で感じながら旅をしたい、だから船に乗るのだ。というのは建前の話。ほんとはオカネなかったんですよねー。片道だけど諭吉さん2枚で上海に行けるなんて、いー話じゃないですか、ということでわれわれは船に乗ったのだ。
船に乗ると免税の48時間が訪れる。ビールがなんとジュースと同じ値段で売っている。そしてタバコも安い。前回に乗ったのは8年前だけど、これはいまでも変わってないだろう。だが、確かメシが高かったはずだ。うっすらとだが「次に乗るときは、食べ物を持って乗ろう」と誓ったはずだ。ということで、ターミナルまでの道中でカキピーやらいろいろ購入。これで高い船内食を食べずにすむぞ。
で、船。乗ってみたら以前よりビールが少々高い。「あーあ、ビールがこれだったら食堂も高くなってるんだろうなぁ」と思いながら食堂もチェックしてみる。カツ丼…350円。。。いっこも高くないやん!どれだけ貧乏やってん、学生のときのおれ。嗚呼、情けない奴だと過去の自分を著しく非難しながら、結局この食堂にはお世話になりっぱなし。中華料理の品々もここで思い出す。
1日目は大阪港→神戸沖→明石海峡大橋→瀬戸大橋→しまなみ街道→下関と、瀬戸内海を通過した。夕日がしまなみ街道の手前で落ちる。とても美しいオレンジ色のサンセットだった。2日目は福岡沖→五島列島沖を早々に通過して東シナ海をひたすら進む。水平線が少し弧を描いていた。何度も見たが、こいつには地球の丸さを思い知らされる。
そして3日目、起きたらすでに揚子江の中にフェリーはいたのだった。
【つづく】
エピソードのない日程での旅行記っておもしろく書きにくいもんですなぁ。ちと文章のリハビリ中ですので、懲りずに見てください。
2006-03-28 相変わらず運だけで世渡り [長年日記]
yotsuya_tokyo
おそるおそる取引先を訪ねてみる。「3月の中旬くらいですかねー、帰国は。変更があれば連絡しますよ」と言って出国したのが1か月前。で、その3月中旬には「チケットがとれないっす」とバンコクからメールを送り(半分は実話。高いのなら帰れていた)、下旬の帰国にしたのだった。それだけなら、実際に安いチケットが取れなかったのだから媚びる必要はないんだけど…
チケット待ち間にタイのコ・サメットなる所に行ったのがマズかった。どんなところかとゆーと、白い砂浜、椰子の木、高い太陽、透明な海、とーれとれぴーちぴちの魚介類なんていうところで。察しの良い方は気づいているように、いままさに日焼けで皮がむけていたりするのである。しかも建設コンサルタントにとっては死兆星を見ながら徹夜しまくる年度末。「ははは、ぼくも電磁波で焼けてしまいましてね」とかお茶を濁せるレベルではすでにない。どう事情を説明しようかとおそるおそる行ってみたら…みなさん徹夜しすぎでどーーーーでもよくなっていた。もはや羨ましいとか妬みとかを通り越して、「南の島→よいところ→めしうまい→うみきれい→日焼けする」なんてことに頭を動かす暇があったら「睡眠したいんじゃー!」というレベル。早々にためていた請求書などを出して退散。みなさんお大事に。
こちらも年度末に向けていろいろモノをつくってきたけど、われわれのような協力会社が忙しいのは2月末くらいまで。あとは、元締めのクライアントが先方(公共)とやり取りして固めていくものだし、時間が空いたらそりゃ海外へのフィールドワークをせなアカンわいなっちゅうことで、来年もここは出国のチャンスだなと感じたのだった。
2006-03-29 桜との距離 [長年日記]
okurayama_yokohama
日本ですな。帰ってきてしばらく関西にいたので、家は久しぶり。で、知ってる人は知ってると思うけど、ウチの前の公園はすごいことになってますよ。横浜市内のくせに、ぶっちぎりの自然公園で、桜が満開!!!昨日の夜中に帰ってきて、目が覚めて外を見たら桜、桜、桜。窓いっぱいに、おりゃーーーーと桜山が広がっているじゃないですか。こりゃたまらんとユキコと外でおにぎりをはむはむ食べる。ビールも飲む。いやぁ、ここに住んでよかったと思ったよ。自然って、どこにでもあるようでないもんだということは、旅から学んだものです。
来週の平日はヒマありますんで、誰か来ませんかねぇ。これだけの桜を独占しているのがもったいない。
2006-03-30 藤堂氏 [長年日記]
otsuka_tokyo
まずは親友のくろさわくんお誕生日おめでとー。28歳だね。その歳のおれは、まさに激動っちゅうか、1年旅した年齢ですよ。誕生日の前にはラダックで凍った川を歩き、VISA取りをしていたデリーではホーリーっちゅうお祭りがあって、色の粉を投げまくり、アムリトサルを経由してラホールだったかな。で、初パキスタンのラホールで誕生日だったよ。元イタリアンシェフのロビンと大学以来の腐れ縁を誇るヨシヤに料理をつくってもらい祝ってもらったっけ。んでぼかーんといろいろありましたなぁ、スーフィーとか。とにかく、くろちゃんも忘れられない28歳になるといいですなぁ。
さてはて自分はというと、これまた友人の淳君が送り損ねた荷物をとりに元住んでいたドミを訪れてみた。大塚、変わってませんなぁ。ホームを降りてドミまでの道を歩いていると、何のツテもなく東京に住み始めた苦労の時期がフィードバックするんよね。少々食えるようになってきたけど、気は引き締めていかんとアカンと強く思ったよ。
で、荷物自体はampmから再送することにして、ドミ時代にお世話になったセガワというおかしなほど山盛りの定食を出すセガワという店へ、ポーランドのアウシュビッツ&ビルケナウ+パリの白い門+ドミ仲間?先輩?の藤堂氏と行ってみた。野菜の値段が高いときは定食のパワーも減ったらしいけどいまは復活☆相変わらずっていうすごさですわ。おまかせ…680円をたのんだところ、ライスと味噌汁はいいとしても、サンマ1本+肉じゃが+鉄板焼きがそれぞれそれだけで定食のメニューになりますやんという量で出てきた。ここでノックダウン寸前だったんだけど、藤堂氏は久々の再会ということでバランタイン17年を用意してくれていて「近くの桜の下で飲みますか」と渋い声で切り出すではないか。それいってみましょーということで茗荷谷の桜の下へ。文京区はすごいよね、桜を重要文化財としてきちっと扱っている。照明は改善の余地があるけど、桜+遊歩道という点では非の打ちようもない整備のされ方。ここはきっと住民も誇りに思っていることでしょう。公共事業の良い例だ。で、藤堂氏と桜の下でバランタイン17を傾けながら旅の話やらいろいろしていたけど、かなり風も強くなってきたので、目の前にあったこじゃれたカフェでコーヒーをいただいた上、野郎?おっさん?ふたりしてケーキの盛り合わせみたいなものを頼んでしまう。腹が破裂しそう。今年第二位の満腹感だ。ちなみに第一位は、ゆくゆく日記でも取り上げるであろうビエンチャンのKURLAOで食べたラオス郷土料理コースである。ということで、今年二度目の桜はおっさんの会合であった。
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