2004-06-01 やることはひとつ。 [長年日記]
→AMSTERDAM→
オランダはこれといって特徴のない国である。と、よく聞いたものだ。歴史的には、大国の間におかれてきた国なので、仕方がないといえばそうなのだが。もちろん、ご当地料理はないし、建築といっても他の国のようにオリジナリティがあるわけでもない。風車にチューリップ、コーヒーショップで観光客を呼び込もうなんて浅はかな考えであろう。
荷物を持ってフライングピッグという安宿に向かう。その前にイスタンブールで会ったジョンとコンタクトをとりたかった。宿代はタダだし、気心も知れている。ということで、まずはインターネットカフェへ。とーころが、ところが、こいつがクセモノだった。無人で課金マシーンが設置されているだけ。5ユーロ札はダメで、ミニマムは1ユーロ払え。あの、いまコインないんすけど。その階下にあるCDショップで両替をお願いした。いかにもオランダ人という感じの黒人が「できん」。以上。次のネットカフェへ。店員はいる。が、さっきの店よりも激烈に高い。「おい、日本語は打てるのか?」と聞くと「読むだけならな」と帰ってきた。なんでこんなに自信満々なんだ?IMEのディスクを持っているし、XPなら日本語タイプの仕方が分かるので、「ここでいいや」と思って画面を見るとふつーじゃない。なんか店のシステムがガッチリ入っていてツールバーとかが一切でない。もちろんインストールもムリ。てことで、次の店へ、次の店へ…。もういいや、「ジョン以外にメールできなくてもいいや」と思った。ので、次の店ではいろいろ聞いてみる。「日本語打てるのか?」と聞いたら、店員が別の客に「おい、この中国人野郎の英語を翻訳してくれよ」。ナメてんのか?黄色人種ということで完全に見下してやがる。やつらはおれたちのことをたまにバナナと呼ぶ。それは外見は黄色人種で、中身は白人を真似たいからだという。バカにしやがって。そういう言い方があるのか分からないけど「頭がクルミのようだね」と言っておいた。ちなみにジョンとはあえなかった。
2004-06-02 仕事の日 [長年日記]
→PARIS
アムスからやっとパリにたどりついた。別に来たくて訪れたわけではない。単純に日本人宿があり、ネットがタダだからやってきた。順番から言えば、アムスへ行く前にドイツだろうし、アムスからパリまでの間はアントワープやブリュッセルに行くべきだと思う。ネットで仕事をアップしなければならないということは、ヨーロッパ圏内ではロンドンかパリ、イスタンブールでしか可能性がない。たかがワード&日本語を使って文字数を確かめるだけなのに、できないのだ。
パリの安宿、白い門は分かりにくい場所にあった。CRIMEEという駅を降りて、ポストオフィスを探し、その横の緑の門をくぐって階段を降りる。マンションの下をくぐって左へ行き、藤棚の下をくぐって左前にあるマンション。これをかなしたけれども、どの棟?どの部屋?まったく分からない、待つこと1時間半、前を通った日本人を捕まえて聞き出した。
みんなが観光に出て行くのを待って、たったひとつのパソコンを独占する。仕事に取り掛かる。仕事しにパリへ。響きだけは良いけれども、結局はアムスのコーヒーショップでのインパクトを引きずりながらセコセコ書いていたのだった。
やっと洗濯をした。東欧圏内に入ってから、ほぼ毎日の移動だったので、やっと落ち着けるところを見つけたわけだった。
2004-06-03 コネクティング [長年日記]
PARIS
8年ほど前に初めて旅をした。行き先はグレートブリテンとパリだった。同じ旅で、ランズエンド(世界の果てという地名、相変わらず欧州人は傲慢だ…)というUK&アイルランドで一番の西端部分に行っていたので、今回の旅でそのとき行ったところを再訪してつなげられれば、いまのところ自分の生涯ではランズエンドまで陸続きで旅したことになる。
ということで、エッフェル塔に向かった。その8年前の旅でもっとも南東に位置していたところ。その前に同じ宿で今日帰る女の子とアラブ研究所というところに行ってみた。ジャン・ヌーベルという建築家が建てた銀色のおもしろい建物。しかも、こいつは空の色を反射する。今日は灰色と水色が混じった色をしていた。屋上から景色を眺める。8年ぶりのパリは、正直あまり変化を感じなかった。というのも、前は初めてだったので周りを見る余裕なんてなかったのだろう。いま、自分が見ている景色は2004年のパリという自信があった。もう、いいかげんヨーロピアンやヨーロピアンタウンも見慣れているし。
今日で帰るというその女の子にカフェでカプチーノをごちそうしてあげて別れた。カタコンブというB級観光名所に向かったが、どうやらアラブ研究所で時間を使い尽くしたらしい。閉館していたのだ。まだ夕焼けまで長いのを知りつつエッフェル塔へ向かう。いまも前も観光客だらけ。自分もそうなのだろうから、いまの自分は客なのだろう。フランスにとって。いとも簡単につながった。前に腰掛けたところにふたたび座ってみた。「エッフェル塔へ歓迎!!」。相変わらずの何かおかしい日本語が迎えてくれる。あのときと全然かわっていない。いま、ここにデリーからランズエンド岬までつながったのだった。
2004-06-04 再会へ [長年日記]
PARIS→
ラダックで会った友がいる。彼らはチェコの出身で、一週間前の滞在では運悪く会うことができなかった。でも、メールで連絡を取り合い、明日に再開を果たす。ザンスカール氷の回廊を目指した仲。実はまだ見ぬVTRもあるわけで楽しみにしておるわけです。今日はその準備だけをしていました。オペラ付近のアメックスにTCを両替に行ったり、移動中のメシでもあるサンドイッチを作りだめたり。パリ好きが聞いたら怒るだろうね。何もやっていないんだから。まぁ自分の友達にはそんな器の小さい人はいないと思うんだけど。パリなんて、ただの一カ国の首都なだけでしょ?ブダもプラハも、同じぐらいすごいよ。自分はブカレストがおもしろいけど。美術館はブダで学生証をつくってから行きます。ポンピドゥとかルーブルは。
ひとつ、フランスでおもしろい観光を思い付きました。次に帰ってきたときにやってみようと思います。では、プラハへ。
2004-06-05 のんべぇプラハの春 [長年日記]
→PRAGUE
あらー、朝の6時ごろプラハに着いたんだけど、「20時まで帰られないー!!」と友人のマレックに言われてしまったっす。どうやって時間をつぶそう…。ということで、パリの白い門で仲良くなったミヨシさんと、バスターミナルであったゴトー君と街を徘徊してみる。みんな初めてじゃないので、代表的な建築物とかよりも、雰囲気のよさげなバーとか、安いネットカフェとかを探している。いいところを見つけたのでゴトー君とガッツリ飲む。ブルーチーズと2人で8杯の黒ビール。合計1000円。相変わらずプラハはよいよい。飲んでいるときに「タイに帰りますわー」とゴトー君が言った。なんかうらやましいぞ。だって、あそこはラクチンだもの。長期旅に出てみて、さらに見方が変わりました。あそこは天国だ。だから、不完全燃焼の今は近づきたくないっす。ぜったい堕落しちゃうもの。まだまだいくぞー、いろんなところ。
しこたま飲んで、(さらに彼らの泊まっている宿でも飲んで)ラダックの戦友マレックの家へ。静かだがアツイ再会を果たす。オレがインディアンヒマラヤからここまでつないできた、という価値を最もダイレクトに受け取ってくれる。もちろん飲まずにはいられないしょ。赤ワイン2本カラになる。ZZZ
2004-06-07 チェック・ザ・フィルム [長年日記]
PRAGUE
今日はラダックでの戦友マーティンの家へ。プラハ本駅からメトロで3つほど行ったところなんだけど、ここが静かでのんびりとできる歴史的なエリアだったわけです。新橋から渋谷とか、梅田から心斎橋よりも少ない距離で、こんなにもガラリと変わるものか?プラハって首都なのに!ということで、プラハにお越しの際はビシュヘラートというところを散歩してみてください。また違った印象になるはず。
話がズレたので元にもどそーっと。えと、マーティン宅でチャダル&ラダックのフィルムチェックをしました。彼らのは動画の荒編集したもの、自分のはスライドフィルムを現像したものをプロジェクターで。あんだけ撮ると(3000枚は下らない)さすがにカメラを始めたばかりの自分でも、かーなりええのが撮れています。あと、アフガンの話もかなりした。自分にはほかの日本人よりもアフガンの地理に詳しい自信があるんだけど 、そのソースはほとんどマーティンとマレックからもらったものです。まぁ、マーティンは南極やらアフガンに関する自分の本を出版しているから、詳しいわけだけど。帰り道、湯水のように仕事に関するアイデアが湧いてきた。ただ、すべてアフガニスタンに関してだった。んー、いまはキャンプ道具がジャマで家に眠っているi-bookがほすぃです。いろいろまとめてー。
2004-06-08 お菓子箱 [長年日記]
PRAGUE→CheskyKlumrov
友人のマレックもマーティンも忙しいということで、一人やってきましたチェスキークルムロフ。ここね、最高だわ。一人できても、カップルできても、グループできても、ゆっくり楽しめる。川が旧市街や教会や城を縫うようにゆったりと流れていて、カヤックで遊んでる連中が「おーい」とか手を振ってきたり。ま、こっちは生の黒ビールを昼間っから飲んでいるんだけどね。川べりのバーで。この街は、とてもコンパクト。手の平の上に好きなお菓子だけ盛ってみたような街です。観光客はそこそこいるけど、さして多くないので丘の上から夕焼けを独り占め。帰りはトンカツと黒ビール。なんか毎日5本は飲んでまうす。わしゃアル中か?イスラム圏に戻るまで、健康的にゃなれんなぁ。
ちなみに0.5リットルの生ビールは50円もしません。飲んじゃうねー、東欧は。
2004-06-15 プラハ出発 [長年日記]
PRAGUE→
長い間ステイしたマレックとマーティンの元を去り、新たな船出。いや、バス出。昼までかけて溜めていた日記を書き、パッキングを済ませてインターネットの用事を済ます。メールとかガツガツ送りたかったんだけど、仕事関係ので手一杯。あぁ、パリやロンドンで待つ友よ、日本からメールを送ってくれたのに「返事こねぇ」とおっしゃっている方々、あいスマンです。バスに乗りながら「スプートニクの恋人」という本を読んだ。ぶっとんでるね。かなり前から考えていたことをうまく文章にされていて、悔しいやらゾクゾクするやら。相手は一流作家なのに舌打ちしてみたり。いろいろ来たさ、フラッシュバック。ゴアを思い出した。大学の卒業式があった日に、自分はゴアにいて、そこにある内容を考えて寒気をもよおしていたのだから。懐かしいなぁ、ボンシヴァ。
本を読み終わって、世界が終末に向かってしまいそうなほど美しい夕焼けに気が付いた。写真を撮った。次に、その間接照明でキレイに色づいている車内を撮った。バスが揺れた。写真が歪んだ。新しい作風のヒントがそこにあった。ちょっとおもしろいデジカメを持っているので、アートな写真も撮り始めています。Osam、クロちゃん、帰ったらその機会に見せるよ〜。
2004-06-16 OverDover [長年日記]
→PARIS→LONDON
いやさ、疲れました。プラハから2本乗り継いでのロンドン到着。入国審査とかもガチガチに厳しくて、そういうのでも疲れた。「おまえは仕事をしているのか?」とか、イギリスで働かないように聞くのはわかるけれども、「じゃあ、いったいこの英語力でどんな仕事ができるのか教えてくれ!」と言いたいですな。そんなこんなでやってきましたよ、7年ぶりのロンドン。街は、街は何も変わってませんねぇ。いまんとこ。古びたレンガにツカツカと歩く人々。クソという表現を誰もが使ってもいいほど高い物価。だって、ドライブインのポテトチップは400円だぞ。信じられる???宿はアテにしていたところがフルなので、ミレニアムロッジというところにしました。これが白豪主義満開で、えらく居心地が悪い。タイの島やカオサンで間違えてそういうところに泊まったような感覚ですわ。アジア人だからって見下すのやめてくれー。ということで、散々なロンドン1泊目。明日から事態は好転するでしょう。間違いなく。
今日のラッキーは、ドーバー海峡を往復するフェリーに乗ったこと。バスごとです。そんなことを期待していなかったからラッキー満開★後ろにはユーラシア大陸、前には白い岸壁の街ドーバー。頭の中は大航海時代。高い高いとうなってきた西欧だけれども、ここだけはすすんで黒ビールを飲んだ。激ウマ。うひょー。
(追記)
部屋のメンバーはすこぶるイイやつらだった。スコットランド人、サウジアラビア人、ロシア人などなど。夜に話していると「受付のスタッフは怠け者だよな」という話になったさ。最初に出鼻をくじかれると、最後まで引きずるというけれども、まぁここは大人になってUKでなくアイツが問題だった、と思うことにするよ。NYから来た旅人と話をしたんだけど、「他人に愛がないねぇ」と。日本人旅行者も日本ではそうなのかもしれない。注意しよっと。
2004-06-17 3点目 [長年日記]
LONDON
いま、ヨーロッパにいてよかったなと思う事がある。ポルトガルほどではないけれども。というわけで、EURO2004ですね。世のサッカーファンならば、興味のあるはずのこのカップ。実際にヨーロッパにいますが、盛り上がっていますよ。ニュースなんてイラクと同等の扱いですからね。明日の新聞の見出しは「側転するならバック転もしようよby1点目」あたりでしょう。スポーツバーで見ていたのですが、わいのわいの騒いでましたなぁ。やはり発祥の地(イギリス人、こういう初物っていう言葉が大好きなので)というだけあります。チャンスとなればカモーンカモーン言いまくり。相手チームにレッドカードが出たらバイバイコール。ただ、相手がスイスという格下(少なくとも英国人はそう思っている)だけに、勝った後のお祭り騒ぎってのはなかったです。フランスがドローですし、次の一戦が本当の山場っていうのを心得ているわけですな。とりあえず、道頓堀みたいなのはありませぬ。うい。こちらロンドンのうらっつ特派員でした。(追伸)
明日のイタリアvsスェーデン、見逃せませんなぁ。ヨシヤに切々とイタリアサッカーの魅力について語られたからか、きっちり見てみるとおもしろいおもしろい。ガッツリ体を当たるサッカーは迫力がありますわ。ほな。
2004-06-20 更新 [長年日記]
LONDON
現在地点の更新を行いました。ヨーロッパの地図で見ることができます。もちろん行ったところにマーキング済み。アフガンのはまだ4日分ぐらいですが、興味のある人には楽しいと思います。
その地図をはっつけるべくhtmlファイルをいじりました。じゃあ文字化けしてLADAKHチャリのコンテンツが消えました(泣)助けてぇ、オカダさーん。なんとか文字化けはローマ字に置き換えましたが、ラダックのは消えちゃった。あとABROADに連載してまーすってのもTOPに置きたいなぁ。はぁ、htmlムズカシイ。
今日は仲良しさんの誕生日なので、日本に電話をかけてみた。忙しそうに働いていたけど、なんとかキャッチ。久々の電話はいいねぇ。旅人としか話してなかったから新鮮だった。
2004-06-29 ストライキ [長年日記]
LONDON
今日はシティど真ん中まで繰り出すも、なにやらtube(地下鉄)がストライキになっちゃうもよう。予定時刻の18時までに宿の最寄駅に着くことを余儀なくされる。宿に帰ってからは、仕事をアップして送信し、夕食、友人とだべる、というなんともノーマルな生活。夜中には http://www.gree.jp/ってのがおもしろいよ、ということで何人かでさっそく登録してみた。やってる人、LINKよろ〜☆キーワードは大学名やらパッカーやら、予想のつくものばかりです。
okada [domo------. hagaki todoita yo. arigato-------!!]
純 [おおーーオランダ優しくないん?日本語のネットもない感じ?あ、読める?]
URA [オランダ、コーヒーショップがあるだけで、マジ調子づいてやがる。日本で見かけたら、やさしくしたい国民と、困難に突き落と..]
u-taro [make a 42!大麻に幸あれ!]
u-taro [make a 42!]