トップ «前の日記(2006-03-24) 最新 次の日記(2006-03-26)» 編集

sawadee!!紀行+


2006-03-25 癒しの本質 [長年日記]

kobe_hyogo

帰省すると必ず寄る店がある。そこへは犬が決まった電柱に小便をかけるようなもので、もう行って食ってしないと心安まらないのである。そこは…神戸市垂水区にあるニンニクがむちゃくちゃ入ったお好み焼きの店「まゆみ」。店の命とも言えるニンニクの量は、そこいらの店と比較にならないほどすごい。向こう数日間は、影響を計算できなければ行くべきではないのだ。営業マンは口臭で商談が破談するだろうし、恋をするものはメイプルシロップを入れすぎたラテのような密度の屁を放つことは間違いない。余談だが、自分が大学一回生の頃、親父の車を借りてこの店へ行った。ちょうど今時分の晴れた初春だったので、使い終わった車の窓を少しだけ空けて夜中に車を返しておいたのだ。それでも、次の日に半泣き+ブチ切れという複雑な表情で親父が小遣い減額を宣言したのは言うまでもない。
当時よりもパンチが落ちたのは確かだけど、いまでも胃の中にまゆみのニンニクお好み焼きを入れなければα波やマイナスイオンが減る気にかられる。たとえ刺激や口臭という、一般的な癒しとは180度異なる効果があったとしてもだ。そして行った後は、必ず満たされる。心身ともに確実にリフレッシュできるのだ。なにも、お茶やお香、●●テラピー、坂本龍一やエンヤだけが癒しをするわけではない。今回の帰省で「こういうことちゃうか」と思ったのは、「決め事を守ること」。これが癒しの本質ではないだろうか?
もっと言うと、決め事を守ることの継続は必ず力を発揮する。人と人とはつながっているのだ。今回のことで言えば、実家に帰るときには「まゆみ」に寄るということを守っていたがために「久しぶりやな」とか「帰省してるんやろ、もっと食って行け」という密度の高い時間になっていった。そのつながりが増えたり太くなったりってのは実によろしいことだと思うのだ。
そして、世界を旅して接してきた宗教もこの方向性を持っているのではないかと思うようになってきた。自分は日本人で深く宗教と関わりがたい人種なので、ついつい「パンチの効いたお好み焼きを食らう」という煩悩最優先の決め事になってしまったのだが、もしかすると礼拝をしたり、懺悔をしたり、死んだら土葬にするのかとか火葬にするのかとか、死人に対して笑って送るのかとか泣き叫ぶのかとかってのも、そーゆーことなのかもしれないなと思うのだ。生きとし生ける者のすべてが、自分のルーチンワークを守っている。そして、人間だけがそのレールを踏み外す特権を持っているのだ。