2004-07-23 どぞ。
LONDON
更新できてないことを、今日は書こうかな。書くというよりも紹介しよう、だ。海外にMACを持ってきていないし、テキストだけでホームページをつくれないので、どーしてもいじれなかったLINKのところをばっ。
●芸人さんとこ
http://blog.goo.ne.jp/geinin1975大阪は梅田のいかしたバー、木村ライダー(←LINKはってます)で知り合った芸人さん。北海道出身で、震災のときに神戸市民を救ってくれた。ちなみに、おれ、神戸市出身。地震のときは神戸の垂水で「えらいこっちゃ」と思っていたので、特に骨身にしみる。その後、神戸に7年住んで、その後?その途中?モンゴルにてホーミーを修行。石垣島に移り住み、今に至る。サイトでは石垣島での暮らしや考えてたことを更新中。
どんどん差を開けられていくライバルの純ちゃん。パキスタンのフンザで会った。大人数でトレッキングに行ったときも、がんがん写真を撮る我々は常に最後尾。必然的に会話の回数は増える。おれの心のふるさとラダックについ最近も行ったみたいで、いまから写真のアップを楽しみにしているのだ。仕事のエリアを写真から講演へと昇華させているのが最も悔しい、いや追いつかなくてはと思うところ。久々にガチンコできる相手。
●藤堂さんとこ
http://www.t3.rim.or.jp/~todd/ポーランドのクラクフで出会い、アウシュビッツとビルケナウを一緒に訪れた藤堂さん。パリの白い門でも再会した。アフリカや南米をくまなく旅しているので、とても話が興味深い。もうひとつ特筆すべきことはサッカージャンキーということ。EURO2004も数試合を観戦したようで、度々いただいたメールを読んで大会を実感できたのも懐かしい思い出。広島出身で熱きカープファンでもある。サハラ縦断、VISAが取れたらおれも。
●ヒロコ譲のとこ(我々の間では通称「はくさく」なのだが)
http://www.nicomade.com/多くの人がこう思うだろう。「なんでこのサイトの管理人さんがuracciのおともだちなのか」と。実は音楽つながりだったりするのだ。東京やら大阪に自分の作品が並ぶ事もたびたび。メッセ仲間でもある。アフガニスタンにいるときに「イランで日本人3人が拘束!!」というのを教えてくれたのも実は彼女だったり。酒について書きたいのですが、圧力がかかりそうなので、あえて書きません。(書いているようなものだけれども)
●カーブのとこ
http://www.ka-bu.com/2006-07-23 見えない戦争
okurayama_yokohama
いま、見えない戦争があったとする。普段の生活で、目を凝らして霧の中を見据えようとがんばっても、見えない戦争、でも、世界の大局を占う戦争。それが、いま水面下で行われているエリトリアとソマリアの戦争である。エリトリアはソマリアへ兵を進めている。ラリベラという独自の信仰対象を持つエチオピアから激しい戦闘の末に独立したエリトリア。その痛みを知るエリトリアが兵を進めるということは、よほどの大金が入ると思って間違いない。個人サイトなので語弊を恐れずに明言すれば、カトリックとしてキリスト教の宗派を同じくするアメリカが、得意の「テロとの戦い」を明言できる相手、敵はイスラム武装主義が新盟主となったソマリアである。さすがアメリカ、レバノンとシリアに注目を引きつけながら、そこを奪いにきたか。
地理に詳しい方ならばピンとくるだろう。ソマリアはサウジアラビアから近い位置関係にある。これってチェスでいえば、アメリカは中東にチェックメイトかけようとしてないかい?シリアやレバノンやイランを残しつつ、イエメンやオマーンなんていつでも食いつぶせる相手だとしたら、チェチェン以外のすべてを掌握しているロシアと悪の枢軸(勝手にアメリカが指定したやつらが嫌いな国)をサンドイッチにできるはずだよね?という話である。
アメリカは今問題の国を食いつぶしたら、次に手をかける占領したい国は日本かシンガポール香港なんよね。もう、この国を離れる時期にきたのかもしれない。今日はいろんな失望感を胸に、日本の未来は暗いと言い切りたい。少なくともレバノン情勢にあんな解答をする国民では、生き延びれないし、ラッキーだったとしても百姓の国は生かさず殺さず政策で生き延びちゃったってだけである。詰め将棋の理論で言えば、主権は我々にはなくなりつつある。そこをご理解いただきたい。
2008-07-23 100の雑誌より1冊の本
okurayama_yokohama
「100の雑誌より1冊の本」を合い言葉に
お互いがんばろうと励まし合った仲間が本を出しました。
勝ち負けじゃないけど、こりゃ彼の勝ちだ。
まずはおめでとう!
そしておめでとう!
とてもおめでとう!
彼の名は桜木武史さん。
著作は 「戦場ジャーナリストへの道 カシミールで見た「戦闘」と「報道」の真実 」(彩流社)です。
僕たちが出会ったのはカブールでした。
その頃、僕は僕なりの思いがあって旅をしていたんだけれども
彼がカブールに滞在している目的を聞いて
ビックリしてしまったのを覚えています。
「ケシの闇ルートを追っているんです」
彼は戦場ジャーナリストの卵として
僕は旅ライターの卵としてその場にいたわけだけれども
桜木さんの方が、もっとピュアに目的に向かい、
そしてその途上だったわけです。
恥ずかしいくらい、無計画な自分…
まぁ、それはさておき、
桜木さんも自分も、旅で先行投資した分を原稿に変えて
「今回はトントンでした」とか報告し合っていたんだけれども、
桜木さんはアルバイトをしながら夢へ
自分は運命に流されるように、この業界でがんばっていたわけです。
国際情勢はというと
そのうち、アフガニスタンの状況が悪くなって
さすがの桜木さんも入りにくい国に。
いや、実際はタリバン支配下エリアの
クンジュラーブ峠からジャララバードを通って
カブールにその後も滞在していたんだけれども
どうしてもタリバンの脅威が高くて、
田舎の方まで行けずに帰ってきて
「情けない」と自分を責めていたのを思い出します。
その後、地震後のカシミールとパキスタンへ向かい
(おそらく)二度目のカシミールで銃撃され
その時に顎を打ち抜かれました。
ニュース映像で、血まみれになりながら銃から逃げる桜木さんを見て
「生きていて本当に良かった」と、当時も今も思うわけです。
当時、銃撃されたことはニュースになったけれども、
その後の彼の苦労は、撃たれたときより大きかったのではないか。
肩甲骨を削り取り、その肩甲骨で顎を作ったわけです。
そして背中の肩甲骨にあった場所には人工の骨。
肉が食えるようになるまで1年以上かかったと言っていました。
そんな桜木さんの渾身の一作が、やっと世の中に出るのです。
ぼかぁ、自分のことのようにうれしい。
カブールのJAMIL HOTELの屋上の小さな窓もない部屋で
自分と桜木さんとマイミクのよしやの3人が
シャルワルカミースというアフガンの民族衣装を着て
アザーンが鳴り響く蒸し暑い中、
本気なのか大風呂敷を広げているのか分からない未来を語り合ったっけ。
あのとき撒いていた種が花を付け実ったんだね。
おめでとう。
次は僕たちの番です。
(写真はAhmed Rashid著「タリバン―イスラム原理主義の戦士たち」に出てくるカンダハルのサッカースタジアム)
ヒロコ(通称はくさく) [んにゃー。紹介してくれてありがとう。お酒が大好きなはくさくです。でもうらっちとお酒を飲んだことはありませんよ! とこ..]
かんりにん [なおしたー。指摘ありがちょ。そのうち飲もう。そのうちが近いことを祈るのみ。保護者つきなので暴走できまい(笑)]
ヒロコ(通称はくさく) [もひとつよい? わたしのところが"譲"なのも気になるわー。うふ。]
かんりにん [なおしてないー。指摘ありがちょ。じゃあ、新しくヒロコ醸で。醸造の「醸」よん。]