2004-04-28 放牧とモノづくりの朝焼け [長年日記]
SHINRAN→HERAT
放浪の民は、外で寝る。シンランの宿のむかつくガキンチョとじじぃは外で毛布をかぶって眠っていた。相当に冷え込んだ朝だった。砂漠の寒暖の差は、やはり激しい。前かがみに震えながら車に乗り込む。昨日、ハシッシをバクシーシしてくれようとした男は、知らない間に去っていた。この近くに彼の村があるのだろうか。バスは相変わらず地雷原の中に切り拓かれた道を突き進む。灰色のモヤだった天空は、じょじょにピンク色に染まり、砂漠の大地はその動きに呼応してオレンジ色に染まっていった。朝露は緑を映えさせる。すべての輪郭が、ある瞬間を境にバッキリと映し出された。今日が、また始まる。これまでに見た、どの朝焼けよりも人智を超えた完全なる朝焼けだった。それでも、寒いものは寒い。オレとヨシヤの歯はガチガチと鳴り続けていたのだった。
ヘラートは、これまでのどの街よりもスッキリとして落ち着いた街並みだった。それは経済格差からくるものだった。イランからの国境貿易で絨毯商人がたくさんいる。どこよりも平和な空気。数週間前に暗殺があって、警察が厳戒態勢を敷いたとは思えない落ち着きだった。モスクやミナレットなどの観光はもちろんしたのだが、そんなことよりも印象に残ったことがある。とある人々の生き方だ。彼らの手は油にまみれていた。彼らの手は擦り傷だらけだった。彼らが顔を上げると、生命の息吹を感じた。製造業に携わるものたちは、みな輝いていた。どこから入ってきたのか分からない日本製の車は、塗装をはがれ、シートのレイアウトを変え、ヘコミは大型ハンマーで荒々しく手直しされ、アフガニスタンのトヨタとなる。彼らとチャイを分かち合った。胸の中が晴れ渡っていくような感覚。彼らはその車を指差して「アフガントヨタ」と言った。製造業なくして国はない。東大阪の町工場の群れを思い出し、遠いこの土地からひそかにエールを送ったのだった。
ちなみにアフガニスタンで走る車のほとんどはトヨタ製で、その理由はわからない。