2004-02-02 チャダルトレック3日目 [長年日記]
野宿→ラマの家
昨日に野宿を決定したときに期待していたことがある。それは氷ができていて高巻きをしなくてすむということだ。氷の上を歩くのと比べて10倍程度の労力と10倍程度の時間を要するので、できれば避けたい。パーティーの全員が口には出さなかったけれども、誰もが今日の氷の様子を気にかけていたし、願わくばガチガチであってほしいと考えていた。が、現実は過酷だった。アップダウンの激しい石だけの崖道。ときにはバケツリレーのように荷物を受け渡ししてから崖の上まで一歩ずつ高度を上げていく。靴のグリップが効いているのはほんの数センチだけ張り出している岩。崖崩れが断続してあるからか、石の上には細かい砂が積もっている。ロープもザイルも使わない。おそらく一回ずつ使っていたら10日ほどの日程が必要になるし、それだけの食料を持ち運ぶのは至難の業だ。ここぞ、ではロープを使うものの、これは間違いなく命がけだった。TAKAの靴は氷の上でスリップが少ないものの、岩山では強くない。ひきかえ、自分の靴は氷ではよく滑るが、岩山では無敵。靴底のゴムの堅さと面積のバランスでこれらが決まる。昼ごろ、別の問題に直面した。オマというポイントなのだが、ここは氷が全面に張っているものの、すべてが薄くてルートファインディングにとまどったのだ。氷が全面に張るといっても、フラットになっているわけではない。魚の表面にうろこが張っているように幾枚もの氷が隣接していてエッジの部分が盛り上がっているのだ。ある部分にはエッジの下に氷があって歩行可能だし、ある部分は氷が薄くて踏み抜く可能性がある。見た目には分からない。川底の形状はU字状。さらには両岸が切り立った崖になっている。つかむところはない。だから単純に川岸側を歩けば安全だというものでもない。道が開けているのは川の中央付近。阿弥陀クジのように張り巡らされている「あたり!」のエッジだけをチョイスして安定した氷がある斜め向こう岸まで歩かなければならないのだ。落ちたら終わり、というここはチャダルでもトップ2の難所である。オマの氷が落ちたら、そのシーズンのチャダルは終わりだという逸話もあるぐらいで、チャダルを行く人たちのすべてがここの名前を知っているのだ。今年は暖冬。危険だったと口々に話すチャダルで会った旅人たち。いろんなことが脳裏をかすめていく。
そのときバラバラバラバラ…という音が聞こえてきた。ヘリコプターである。手を振ってみた。同時に後ろのエッジで音がした。ミシリ…ミリミリミリ…。それに呼応するように逆サイドで氷が一段落ちた。バン…バリン。後ろの音は湿った音。水は近い。対して逆サイドで落ちた氷は安心できる音だった。下の層に氷があるらしく水を含んだ音ではなかったのだ。できるだけそちら側を選んで、向こう岸へ。そのあともなかなかの受難が続く。全体的に今日は、氷が少ない。岸に張り出している岩の助けを借りながら幅1.5メートルほどの氷の道をおそるおそる進んでいく。オマ周辺だけで2時間以上を費やした。その後はしばらく安定していたものの、今度は大きな岩が氷の道の上に張り出しているポイントがあり、四つんばいになって進む。その次には氷が安定しているものの、氷が2層になっているところ。30センチほどの上の層の氷は密度が薄く、空気をふんだんに含んでいて、踏めばバリバリバリンとガラスのような音がして砕けてしまうのだ。さいわい下の層はガッチリとした氷なので河に落ちることはないのだけれども、1歩ずつ30センチの高さの氷の層を砕きながら進まなければならないのには苦労した。
それだけやりぬいただけに、ご褒美もあった。崖の上に橋が渡してあって人の住むエリアに近づいているのを確認できた。その近くには完全に凍った滝があって、その姿は雄々しくて荘厳だった。美、のカタチをしていた。美しい、とはちと違う感じ。橋のあるところからしばらく歩いて、今日はここらでキャンプしよう、と準備をしていたら薪を拾いに行ったスタンジンとソンブーがあわてて戻ってきた。「民家がある!」。かくして今日は土間を借りて寝ることができたのである。もちろん暖房なんてない。気温はおそらくマイナス25度ぐらいだと思う。