2004-04-05 [長年日記]
PESHAWAR→JALALABAD
ついに乗り込むときが来た。ヨシヤ、淳くんと自分の3人で行く。準備は整った。シャルワルカミースというここら辺の現地服を着て移動する。景気付けにフルーツシェイクを飲んだ。もちろん酒がご法度の国だけに仕方がない。大の男たちが膝をそろえてストロベリーシェイクやバナナシェイクを飲む。目の前に額から汗を流した恰幅のおっさんが来て「ストロベリー」と言った。アフガンへの道は思ったほど悪くなかった。道は、である。途中にはいろいろとやっかいなことがあった。トライバルエリアというのはご存知だろうか。パキスタンとアフガンの国境に横たわるそれは、法律など及ばない無法者地帯である。漬物石のようなハシッシやジャキン!とレバーを引けばすぐにでも殺傷可能のカラシニコフがゴロゴロと転がるところ。そんなデンジャラスゾーンをタクシーで越えていくのである。ぜひ、次こそはフラリと中に入っていきたいものである。それはさておき、ここを通過するには必要なものがある。それは通行許可証と銃を持った傭兵(警察)。実は、まぁなんとかなるだろうと警察署にいかずにタクシーだけで出発した。途中で金を払って雇えばいいさ、と。そのせいで少し長引いた。チェックポストにいた警察を引っ張っていったのだけれども、少々お金がかかってしまった。カラシニコフを奪い取りズドンといってしまいたかったが、ガマンした。タクシーから見える景色は、それまでの砂漠地帯と少し違っていた。山々が現れ、高原の風が吹きはじめた。高い門で閉ざされた広大な家々が見える。「これがアジアで一番大きな家だ」と、突然彼は言った。麻薬や銃取引で建った宮殿である。それなのに怒りなどは感じなかった。ただ、ここは特別なところなのだと変に納得した。
国境での手続きはいやにラクだった。アフガニスタン最初の街、ジャララバードに向かう車もすぐに見つかる。そして道も立派なアスファルトだった。だから目的地には数時間で着くことができた。ただ、ただ違ったのは畑一面にケシの花が咲いていたことである。その手の知識を持っていないふたりに、「あれがケシだよ」と伝える。彼らの目はまだ見ぬ好奇心に輝いていた。もちろん「オピウムをやりたい」という意味ではない。まだ見たことがない有名な植物を初めて見たからだった。
ジャララバードは、パキスタンとは、少しだけノリが違った。写真は紙を使ったピンホールカメラ。露天の雑貨屋には正確に作ることができなかった不ぞろいな人形たちが並び、食べ物の屋台もメニューは知っているのに未体験のもののような見栄えをしている。ただ、子供たちは元気だった。カメラを構える我々を見て集まってくるのだった。と思ったら大人たちも集まってきた。子どものような大人たち…このときは良かったのだけれども、今後この性格に困らされること予想できなかった。夜ゴハンは特産のケバブを喰らう。これでもか、と串を空けていく。ナンもついて1ドル。すでに南アジアの物価に慣れていた自分は高いと感じた。
さらに夜中。寝静まった頃、大事件が起こった。それは生命の存在をも揺るがすものだった。