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sawadee!!紀行+


2007-01-04 星降る夜 [長年日記]

tokyodome_tokyo

ロマンと説得力。その命題に数々の勇者が汗と魂をぶつけていった日本のプロレス。静寂の中、パーーーンと破裂するようなチョップの音が響き渡り、胸元から汗が飛び散る。いまさらながらだが、プロレスは格闘技では、ない。簡単に言うと格闘芸術である。技を出す者と受ける者、レフェリー、観衆がひとつになって、そのときその場所だけの、記憶というあやふやな媒体にしか残らない、はかない作品を作り上げるのだ。
5対5マッチ
思えば、プロレスのそれらの要素は、非常に「旅」と酷似する。同じ場所を旅した友人の記憶とは似て非なる私だけの体験。時間と人、そして季節や気候、政治などはあくまでも流れ往くもので、いつも異なる表情を旅人に見せてくれる。あのレスラーが刻んできた歴史と技、もう一人のレスラーが歩んできた「道」。その遭遇がたとえ何度目でも、新しい出会いとなり、新しい作品ができ上がる。プロレスとはレスラーが作り上げる旅なのだ。
川田が技を返される
東京ドームという場所でプロレスを見るのは初めての体験だった。小さな箱ばかりの大阪プロレスをよく観てきた自分には、広すぎる空間。しかし、米粒のような大きさに見える逞しいレスラーたちは縦横無尽に走り回り、そして流れ星のように飛ぶ。体を預ける、という仕草が人にはある。プロレスの打撃技はまさに体を預ける行為だ。しかも、敵に、である。その痛みを伴うキャンバスへ向かうために、今日もレスラーは歩く。誇りと意地で作品を造り上げるというのはどこかおかしい気もするが、その矛盾こそがプロレスのすべてだ。今日もレスラーは花道を歩く。
鈴木みのる入場
死力を尽くす、という行為は総合格闘技にもプロレスにも存在する。そして、唯一その魂の方向性は一致するところは議論の余地を挟まない。レスラーという一個体としての人間は、己というものを存分に出しつくした上で、勝ち負けが決まる。そのような競技だけに、戦った後の気の張り方を見れば、その戦いが今後も続くのか、今回で決着がついたのかが分かるのもおもしろい。そう、プロレスは才能と意地が星を飛ばす物語なのだ。
鈴木みのる、力を出し切る
話は東京ドームに戻る。この会場は、コロシアムとなるのが素晴らしい。煌煌と照らすライトはレスラーとリングを際立たせる。その奥に朧げに霞む座席の表情はどこか古代の遺跡を思い出させるオレンジ色に染まっているのだった。手前には力を出し切るレスラーたち。動と静。その対比が美しい場所こそ東京ドームではあるまいか。
太陽ケア、棚橋を雪崩式で投げる
プロレスはあやふやな記憶という媒体に歴史を刻む物語だとする。とすると、この瞬間、この場所で起こることを見届けたくもなるものだ。いま、プロレスという絶滅指定種は総合格闘技という波にさらわれようとしている。
たかが、力道山からの歴史。確かにそうだが、戦前・戦中、そして戦後と大きな変革を世界とともに味わった私たち日本人としては、これもまた築き上げてきた素晴らしい日本の文化である。レスラー本人たちがベストを尽くさねば喰われてしまうのは確かだが、私はこの格闘芸術をまだ応援したいと思っているのだった。マーマレードのような甘さと艶を持つ日本のプロレスは、今年も美しく輝いていた。
武藤、蹴る

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
くろ (2007-01-17 14:44)

はやくストンピングがしたい<br>だだだだだだだだだだだだだだだだだだ<br><br>さかおとし!<br><br>おれは生のウエスタンラリアットを見たことがあります。<br>入場の時に綱でなぐられた友だちを見てちょっとうらやましかったものです<br>実家に帰ったらハンセンのうちわを発見。<br>持ってかえってくればよかった

uracci (2007-01-22 11:24)

チケとったどーーー。ひょっとするとボノ参戦!!!両国はやっぱ力入るねぇ。