トップ «前の日記(2006-09-09) 最新 次の日記(2006-09-12)» 編集

sawadee!!紀行+


2006-09-11 9.11の持続的効果 [長年日記]

okurayama_yokohama

9.11の追悼集会は、ある意味正しいがある意味表に出過ぎである。例えばおれから身近な人がテロで奪われたとすれば、おれは怒り狂うし、追悼集会にも参加する。だから正しい。
でも、同時に言えるのはイラクの人たちやレバノンの人たち、アフガニスタンの人たち、コソボの人たち、IRAに殺された人たち、地下鉄サリン事件で殺された人たち、フォークランド紛争で殺された人たち、ベトナム戦争で殺された人たち、ツチ族やフツ族の紛争、ポルポト派に殺された人々、ベトナム戦争…などなど、いろんな犠牲者がこの世には存在する。戦争だけに限ったことではない。医療ミスやら、あんなこんな事件の犠牲者、社会に追いつめられている人たち、みんな大切な人をなくすのは何にも変えがたい苦しみである。生き残った周囲の人は誰よりもそれを痛感している。それらすべての人たちは大切な人を毎日でも想い続けているし、セレモニーの類のイベントや儀式があれば生きていた証として参加すると思う。
考えるに、同一の日に起こった事件の被害者は、小規模紛争のように分散して長期間で累積していく被害者よりも世の中の印象に残りやすい気がする。何万人という単位になるまでは戦争は歴史に大きく残らない。試験に出る程度である。だが、事件は怪奇性やインパクトがあれば人々の記憶に残り続ける。教科書としてそのような残し方が正しいかどうかは、有権者の世代が設定していくべきこと。後の世代に正しいことを残す使命を今一度感じ入るべきだと思う。自分は9.11テロも、タリバン駆逐も、今回のレバノン侵攻を筆頭とした中東の歴史も、連綿と続く絵巻の上で等価に扱う問題だと考えている。ところが日本のニュースときたら(続く)