2005-03-18 バイトに見る一般的大学生論 [長年日記]
tokyo
「てめぇがやれよ」。運送会社のバイトで担当の人が「じゃぁ、次の荷物にいこうか」と言ったときに、大学生たちが影でボソっと言ったことである。
今日の仕事は大学の引っ越しで、ウチからだけでなく他の派遣会社からもたくさんの大学生が来ていた。で、こいつら大丈夫か?とことあるごとに感じたのである。最も衝撃的だったのが、仲間と助け合わないこと。例えば、仲間の誰かが重たくて大きな荷物をトラックから降ろそうとしていたとする。でも、他のヤツらはただ見ているだけなのだ。こんなことってある?運送会社の人に「手伝ってやれよ!」と言われて始めて「あ、はい」と動くのだ。仕事のデキ・不デキとしては話すまでもないが、何よりもそれって友達としてどうよ?と思うっしょ。見ていた大学生たちはラクをしようとして手を出さなかったのではない。単に見ているけど、気が付いていないのだ。友達が苦労しているのを見ているだけ。でも何も感じない。まったくもって理解不能である。
自分は大学時代に音楽系の部活をやっていたのだが、本格的な器材を借りるために部員はイベント会社にバイトへ行かなければならなかった。バンドのメンバーたちと幾度となくイベントの設営へ行かされたものだ。そこで重たいものをたびたび持たされたのだが、できるだけ自分たちはラクしようとした。2人で苦労して運べそうなら3人で負担をなくして持った。何か言われても「大切な器材ですからねー」とか適当なことを言っていた。また、できるだけグループとして動こうとしていた。器材や設営部品を決まったメンツで運び、私語が許されるシチュエーションなら、どうでもいい世間話を山ほどした。そういうのって普通だと思うんですけど。
風潮が変わったとか、自分が歳をとったとか、いろんな意見があるだろう。でも、自分はこの件に関して正しいと確信を持っている。世の中の大学生の方が変わるべきことだろう。こんなんじゃ、一人っ子政策で崩れゆくあの国と同じ結末を迎えることになる。
それはね、思考してないんだよ。<br><br>東京は意外とそういう人が多くて、自分も時々理解不可能な状況に遭遇する。<br>この間も、某家電量販店で品物の間の通路を通ろうとしたら、そこにいた人が<br>自分が近づいて来るのをしっかり見ていたのによけない…。<br>仕方がないので「済みません、通りたいのですが」と声をかけたら無言で動いた(怖っ)。<br><br>その大学生もそうだけど、何かを見ていても思考はされてないのね。<br>だから理解はしていない。<br>もし、目の前で誰かが電車に飛び込んでも、そこで何が起きているのか理解できない人は<br>意外と多そうな気がする。
こわいことをサラサラと書いてはる…けど、実際そうなんでしょうなぁ。これは後日ちゃんと書こうと思うんですけど、東京の最もダメなのは『シカト』という文化があたり前にあること。こればっかりはアホな関西ですら少ないと自慢できます。友達(っぽい?)仲で話してても「あいつ、ああいうところがウザイからシカトしておいたよ」とかへーきで言ってる。そら、ロクな子どもが育ちません。日本は崩壊へ。コミュニケーション能力とかが低下してあたり前っす。<br>はー、ふつうのことをふつーにしようよ、と思う今日この頃です。