2004-09-15 平和の常に一歩手前には
BARCELONA
ピカソだけの作品を置いている美術館へ行った。彼の少年時代から晩年までの絵をたくさん置いているところ。年代別に分けられているので作風が変わっていくのを確かめることができる。平和への切なる思いは、重たく暗いものだった。まるで脱却できないところで、もがき苦しんでいるかのような空気を吸った。ゲルニカ自体はここにないんだけれども、そのパートデッサンのようなものはあって、上を見ている人と折れた剣を持っている手があった。その顔は、爆撃機を恐れ「また来たか」という顔をしていた。
4人の兵士に4組の母子が銃を突きつけられている絵があった。怒り・失望・無感情・恐れ。突きつけられている方には4パターンの顔があった。そばには自体を飲み込めない幼子が地面にいる虫か草かを覗き込んでいる後姿があった。兵士にも4つの表情があった。スペイン内戦はプラハで見たロバートキャパ展である程度の予習ができていたのだが、絵の力もすごい。えぐい。その時代を生きていないのに後悔すら感じる。
今回の旅でアウシュビッツを筆頭に西欧社会の戦争の縮図を垣間見て、さらにそれが現代に繋がっている糸のようなものも見えた。この世の中に対して、この見えてきたものをぶちまけていきたい気分だ。彼らがそうしてきたように。
2006-09-15 アルゼンチン代表とか
okurayama_yokohama
やはり、これまでにない色を選んだ方がかっこいいはずだ。おれは流し台の引き出しから赤い輪ゴムを取り出した。おそらく近所のスーパーで割引の惣菜を買ったときについてきたものだ。両手でグイッグイッとどれくらい伸びるか確かめる。うむ、これは期待ができそうだ。そして、おれはその赤い輪ゴムを頭に装着した。
髪の毛が伸びてどうにも鬱陶しいので、サッカー選手が頭につけている細いヒモを見習ってつけてみたのだが、うまくはまらない。髪の毛がナスビ型に収まる。これでは老けて落ちぶれた少年アシベだ。くしくもずん胴な体型だけはアニメのアシベに近づいているが、もちろん30男にそんな愛嬌はまったくない。鏡で見たら自分自身にワナワナと怒りを覚えた。
よく思い出してみよう。メッシまでいかなくてもいい。Jリーグのパッとしない選手でもいい。彼らにあっておれにないものは何か。考えること数分、閃いた。汗である。たいてい彼らの前髪は汗で額にくっついているのだ。おれは洗面台に向かい、流れる水を額にこすりつけはじめた。バシャッ、ビシャッ。くの字型に折れ曲がった頭に赤い輪ゴム。親や彼女には決して見られたくない光景である。額が十分に濡れて、しずくが落ちるようになった頃合いを見計らって、おれは顔を上げた。ワカメが頭に乗っかった田舎漁村の漁師のようだった。突然、赤い輪ゴムが飛んだ。バシュッという音をたてて、上に飛び跳ねたのである。そしてペシリという情けない音で天井に当たったかと思うと、今度は頭のてっぺんに落ちてきて乗った。蛇口からばしゃばしゃと水が出て、コロコロという音を立てながら排水溝へ吸い込まれていった。
O'sam [ピカソ、好きだ。怖い絵観たい。 ゲルニカも観て来い。]
uracci [ゲルニカはパリにあるんだっけ?観たいなら、あるところに行く前に豊富な資金力で購入してはいかがかな?CDの売れ行き、ど..]
A@TOKYO BAY [ゲルニカは私の行った頃はマドリーにあったよ。 バルサからマドリーなら頑張って行ってみよう!]
uracci [あれ?マドリーだっけ?パリだと思っていた。しかし、マドリーに行くことなく、いまはプラハだったりします。てか、いまAさ..]