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sawadee!!紀行+


2007-04-21 身の丈 [長年日記]

nakano_tokyo

なぜだか大学時代の友人のシンゴが岡山から東京にやってきたので、同じく同級生のトーマス(もちろん日本人)と中野へ繰り出した。中野でメシと言えばアソコで舌鼓なんだけど、今日は食レポートではなくて三人で話していて話題になったことを。
何かというと「東京の大学でなくてよかった…」と再確認したのだ。在学時こそ「おれたち田舎だしなぁ。都会もんに負けんようにほげほげ」とか思っていたんだけれども、今になってみれば「おれたち、こんないろいろありすぎるところにいたら頭パンクしてたよな」と3人とも妙に納得してしまったのだ。ほんと、良いものから悪い物まで情報量が多すぎる首都圏。大人になったから、それらの中から自分に合う物をチョイスできると思うんだけど、若いときにいたら誰かはニートになってるだろうし、誰かは気が狂っているだろうし、その代わりに誰かが大成功を収めていたのかもしれない。いや、そもそも「クラスの誰か」という概念自体が生まれていたかも不確かだ。
自分が通っていた大学は兵庫県の西側にある姫路市の、しかも思いっきり外れにあった。駅前に出るには30分くらいバスに揺られなければならないような所だから、昼ゴハンはたいてい学食。外に車に出る時は一人で行くのも何だし、クラスのやつらを誘いまくって一緒に行っていた。隔離社会だからこそ生まれる妙な連帯感。そういうものを4年かけて熟成させたからこそ「卒業してもクラスの連中で仲が良い」という他大学には少ない現象があるのだろう。つまり、田舎だったおかげで「部やサークルの友達」「バイト先の友達」以外に、かなり高いレベルで「クラスの友達」も自分たちは持てた。代わりに手放したのが「世代を超えた友達」とか「バイトを通じて大学外の世界で知り合う人たち」とか「都会にある最新のモノ」なんだと思う。どれがいいかなんて人それぞれだし断言できないけど、物事には似合うものとか自然な方とかがあって、おそらく自分が通っていた大学は「田舎育ち」か「都会育ち」なら、「田舎育ち」の方が良い連中が行く大学なんだろう。なんたって、高校から大学を選ぶ時点で「絶対に東京でアレをしたい!!!」「田舎がヤダ」とか思ってないんだから。身の丈っていいことだ。