2006-09-19 ブルガリア&ルーマニアの美しさ [長年日記]
okurayama_yokohama
おもむろにペンをとった。台所の換気扇の下でタバコを吸いながら「そして赤い爆弾が炸裂した」とか「ここを無の世界だと人は言う」だの、書きまくった。詳しく言うと、「トマティーナ」とか「サハラ砂漠」とか、旅コンテンツの見出し案が降ってきたのだ。比較的、このあたりはラクである。感じたまま書けばよい。
対して、書きたいのに台所では知識不足だったのが「ブルガリア&ルーマニア」。あの退廃の美学は、おれの旅友すべてが見ておくべきだと思うんだけれども、どうにも彼らをググッとこさせる切り口が見当たらない。なかなか難しい。突き詰めると、好きは好きだが、何が好きか自分で分かっていないという結論にぶち当たった。
簡単に言うと、ユーロに入ることができない旧共産圏の経済は下降の一途をたどっている。線路には草がボウボウと生い茂り、駅前の工場の窓ガラスは割れ、先祖代々続いてきたマイホームの屋根は陥没してしまっている。みな、復旧させる余力がない。目をこらして見てみると、窓ガラスの割れた工場の何割かはそのまま稼働し、天井が陥没した家も何割かは使えるところだけ使って人が住んでいる。ブルガリアでは往々にしてこのような景色が続く。
▲壁の崩壊から時間が逆走している国
ルーマニアの首都、ブカレスト。ここは、なかなかハラハラもしたし、ワクワクもしたところだった。石畳はボコボコで、舗装がはげた下から何世紀も前の石畳が出てしまっている。そこを共産圏特有のトラムがギシギシと走るのだ。入り組んだ市場ではジプシーが平日の昼間から生ビールをあおっている。ばあさんだろうと、兄さんだろうと、おかまいなし。ボロボロでクシャクシャの札をジョッキに替えていく。それはそれで、人生なのである。ルーマニアは「傷ついた心」のような純粋さと痛さが共存した国なのだ。
そんな20世紀で歴史が止まってしまった街遺産、ブルガリアとルーマニア。だからこそ、美しい。バスで幹線道路を走っていると、肥沃な台地に小麦がこれでもかと黄金色に光っている。それは、ボロボロの家や工場を飲み込もうか、という勢いで輝いていた。だから素晴らしい。ボロボロの経済は皮肉にも、人間の小ささをカラッと描き出していたのだった。