2004-04-14 マザール届かず。 [長年日記]
BAMIYAN→DUSHI
バーミヤンを出てからしばらくして、小さな川沿いの道を下流に向かって走り始めた。その分岐店以降、DUSHIまでは一本道。途中で橋が落ちていたりしたけれども、そういう例外をのぞいてクルマは淡々と走る。真っ赤なテーブルマウンテンのような山が現れたり、ケシ畑が現れたり。この街道沿いの道と街の復興はすべてアメリカ軍が行ったらしい。こういうことはめったにありえない。いろんな国が復興に参加しているのだから。ここはケシの運び出しなどに重要な道なのか?いまの時点では単なる推測にすぎない。DUSHIの街が見えたとき、すごく嬉しかった。街道に到達したという充実感。宿に着いたら「宿代はいらない」とオーナーが言う。だが、またモメた。夜ゴハンを食べた後の請求に宿代も言われたのである。アフガン人は本当に物覚えが悪い。ベトナムでも水増し請求はよくあるけれども、それは向こうがだます気でやっている。だからかわし方もあるのだけれども、こちらのそれは本気で忘れてしまっているのだ。だから、本気で向こうも怒ってくる。クレイジー。店員と言い合いをしていたら、オーナーがやってきて、とてつもなく仕方なさそうな顔でこういった。「うーん、バクシーシ(喜捨)でいいよ」。…コトバ出てこなかったです。我々が、もうこいつらと話していてもしゃーないから部屋に帰ろうか、と支度していると…。今度はこぼれんばかりの笑顔になっている。「カメラ持ってるの!?撮って撮って!」。もはや、さっき宿代でモメたことを忘れてしまっているのだった。この民族、ある意味無敵である。インドやベトナムの騙しなんて、相手にもならない。こちらは純粋に忘れているのだから。痛すぎるぞ、アフガン人。でも、でも、そういうアフガン人に育ててきたのは、我々のような国であることを自覚せねばなるまい。彼らは自分の足で立つことを忘れてしまったのだ。そりゃ、痛くもなる。戦争も支援も、お金を導入することのすべてをなくしてしまった方がいいのかもしれない。