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2006-10-01 乞食の街

okurayama_yokohama

●久々で突発的な「旅行記」です。もし時間が許すようであれば、お読みください。リハビリ開始。
この時期になると思い出すことがふたつある。ひとつめは、今の横浜の家に住みだした日ということ。それはさておき、もうひとつは衝撃的な体験だった。
ものごとには表の顔と裏の顔がある。世界中の場所にも、表側と裏側がある。新宿歌舞伎町にVISA期限内で帰る外国人もいれば、タイ人が微笑みながらけっこう悪口を叩いているなんてのも、同じ方向性かもしれない。今日は、そういうイメージを覆したデキゴトに関して2004年10月1日の記憶を書いてみたい。

この日、自分は欧州を西から東に旅をしていた。10月5日にイスタンブールで待ち合わせをしていたために、急いで4か月ほどいた欧州を西側から抜けなければならなかったのだ。場所はウィーン。初めて訪れた街である。多くの日本人と同じように、自分も音楽の都でハフスブルグ家の栄光が残る華やかなところをイメージしていた。もちろん、昼の観光で表側の顔は数多く見受けることができた。お約束どおり、王宮やらカフェザッハやらデメールなんてのも訪れて、「こりゃ伝統深いところだなぁ」なんて感じていた。そういうひとしきりの観光をしつつ、ルーマニアのブカレストへ向かうバスもきっちり予約していたので、バスターミナルへ向かうことにしたのだった。
ウィーンのバスターミナルは数多く点在していて、そのひとつひとつがやたらと大きい。予約のときにスタッフが印を打ったバスターミナルに発車30分前に着いた。なかなか余裕がある。珍しい。窓口で構内のどのゲートかを尋ねようかとしたら、すべての窓口が暗い。人がいない。閑散としたターミナル内で人を見つ出しては尋ねるが「よく分からない」「ここでは見たことがない」と言うではないか。さらに聞くと「この駅に隣接する何個かある別のターミナルから出ているのは確か。でも場所はどこだったっけ…」というものだった。この駅には他にターミナルがふたつある。表に出て無愛想な守衛のオッサンに「ブカレスト行きのバスはどっちのターミナル?」と聞くと「あっち」と指さした。
重たい荷物を持って走る。しかし、ターミナルらしきものは出てこない。貨物列車のスタッフがいて尋ねると「違うよ、それは逆側!!!」と教えてもらった。かなり走ったが、バスは出た後だった。
もちろん、不満たらたらである。小雨も降り、気温が下がって息も白いウィーン。腹が立ったのでビールをキオスクで何杯かあおった。駅の向かいの公園の茂みで立ちションをしながら、「あのクソ野郎!」と唸るも後の祭りである。ヤケクソのような状態で駅の方に戻ったら、濡れた髪と衣服がみすぼらしかったのか、乞食が声をかけてきた。「兄ちゃん、時間だぞ。行こう」。このあたりの言葉は難しい。世界で最も難解なメジャー言語であるドイツ語に、さらにチェコやスイスなどのエッセンスがかかっているという感じだろうか。ハッキリとは分からなかったが、このオッサンの腰を押す手とつぶやき方がそれを証明していた。
普段なら危機を察知して、このような誘いには乗ったりしない。だが、ヤケクソというのは強い。「ええぃ、ままよ」とオッサンに促されるままついていった。駅の裏口。数えきれないほどの乞食。階段にはやっと歩行者が通れるようにだけ隙間はあったが、あとはすべて乞食だ。オッサンとおれは近くの床に腰掛けた。元々、お互いに言葉が通じるとは思ってもいないので会話はない。笑顔を失った連中に混じって、今日だけのゲストが妙にマッチしている感じだったのだろうか。雨に濡れてグチャグチャになったタバコを数人の乞食と回して吸った。オッサンたちは吸うというより飲むに近い感じでゆっくりと味わって、フーーーっと白煙を吐き出した。寒さから来る白い息と混じっているため、とても深い白色の煙だった。
炊き出しを待つ
ガンガンガン。タライを棒で殴るような音がした途端、オッサンたちの目に「!」と目に光がともった。争うでなく、あせるでなく、粘土がカタチになっていくように列になっていく。ゆっくりその歩は進み、最後の角を曲がったときに何の列か分かった。炊き出しだったのだ。カユに野菜炒めが乗ったようなメシを、みな無言で食べる。相変わらず顔に笑顔はない。だが、明らかに人々に活力が生まれ始めた。決して活発に動いたり、明るくおしゃべりしたりするようなものではないのだが、場の空気の色とでも言おうか、ニュアンスが変わったのである。
食後に何人かの乞食と、またタバコを回して吸った。どこからか英語を話せる初老の乞食が来て会話をする。この乞食爺さん、ちょっと周囲の人とは違う。装飾品が何個かじゃらじゃらと付いているのだ。「わしらは、ロマなんじゃ。ロマとはインドにルーツを持つ定住地を持たない放浪民族でな、でも時代はそういうことを許さなくなってきた。もちろん、そういう伝統的な暮らしを続けるものもいるが、ここにいる者は働いて住む気で来ているんだが、なかなか職はない。ま、中にはロマでないルーマニア人も多いけどね」と話してくれた。自分も「日本人で放浪していて、ウソ教えられてバスが行ってしまった」などということを話す。普通なら、正直に「何か月も旅している」なんて言えない。そんな立場は、乞食の彼らにとっては身ぐるみを剥ぐ対象でしかないからだ。だが、このお爺さんはロマである。カネは持たず、全財産を装飾品などに変えて手持ち財産で旅を続ける民族だ。爺さんの財産は、ザッと見ただけでもかなりの額である。そんな人が自分を襲ったりはしない。気付くと、自分の今日のいきさつなどを爺さんが連中に翻訳してくれていた。にわかに周囲が「あれじゃないか」「これじゃないか」と会話に熱が入り始めた。中には「あいつら差別ばっかりするから、極東からの旅人にウソ言ったんだ」というようなものまであった。ラテンの彼らは、実は陽気でおしゃべりである。ただ、置かれている境遇と空きっ腹から本来の力が出ていないだけだ。食後のこの会話で飛ぶようにタバコがなくなっていった。だが、どこからともなく途切れずにタバコが回ってくるのだった。
最終的には何かの時のために隠していたという酒を誰ともなく出し始め、金銭を持っている自分は小銭で変な醸造酒を何本か買い、みんなの寝床で飲んでいた。場所は駅の構内である。もしかすると、何人もの日本人が歩いて通過しただけのこの駅で、自分は車座になって国を持たない民族と酒盛りをしている。意味が分からない。尿意を催したので「ちょっと行ってくる」と声をかけると、何人かが付いてきた。そして、みんなでホーム向かって立ちションをする。すぐに全員が駅員に怒鳴られた。クックック、みな笑いが止まらない。尿とは不思議なもので、妙な親近感がわいたり、権力に立ち向かうノロシとなるのだ。そして、遠くのホームで誰かが怒鳴られるたびに、みなで笑い転げた。
ガツン…。頭に鈍い痛みが走る。「NFSD`O)#W0#WQU」。何やら誰かが怒っている。眠い目をこすっていると、今度は痛みが腰に。駅員だった。「朝4時だ、起きろ、出て行け!!!」。なんと我々は蹴り起こされていた。普段なら「蹴らんでも分かるわい!」と怒鳴り返すところだ。だが、これは自分はウィーンのホスピタリティーだとも思う。追い出すのを4時まで待つのだから。そして、文句を誰かが言えば、この素晴らしい制度はなくなってしまうのだ。できるだけノロノロとみんなで身支度を整え、駅の入り口でタバコを吸った。俺は朝日が出る頃、みんなにお礼を言い、もう一度バスの予約を取るために予約センターへ向かった。

乞食の街/ウィーン2004.10.01

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Before...

uracci [ありがとうございます。レバノンのクネイトラの話もそうですが、あんまりディープすぎたり長過ぎたりするとレスがつかないな..]

ケンシロウ [初めての海外旅行がもう10年くらい前、タイだった。自分ちが一番!よそんちに泊まりだとなかなか寝付けないような人だった..]

なる [おもしれーなあ。 なんかね、おれはほとんど旅とは縁遠いけど、 記憶にのこったりいろんなことを思うのは、 やっぱり寄り..]

takeshi.m [ここに求めるもんは、あるわ!! 本間に心が動くは!! GAMU話のあとのいきなりかい!!って突っ込みたくなるけど。..]

uracci [ケンシロウ> ちょっと、な、なんや!その数行の行間、そしてリフレインは…。 旅って、相互交流がおもろいよね。 現地人..]