2006-08-07 とあるカメラの人へのアドバイス
okurayama_yokohama
きみは死ぬのも怖くないと言った。
お爺ちゃんお婆さんの世代の最後のメッセージを写真で切り取りたいとも言った。
それが確かならば知らなければならないこともあるのよ。
「死ぬ」というのは輪廻転生があるとしても
ひとつの大切な節目なのよね。
居酒屋とかで耳を立ていると分かるように
二束三文の日本人でも「こうやって死にたい」なんて話してる。
みんなね、死を意識しているわけよ、日本人は。
それが寿命だとしても、意思だとしても。
きみみたいに死ぬのが怖くないって人は
これは言い換えると不死身のわけですよ。
死ぬ意味がないというのは、これは無限でもありゼロでもあるわけ。
こうなると死を超越しちゃってるんよね、良くも悪くも。
「わびさび」やら「特攻」やら日本人の大切な文化を
気付きにくくなる要素だととおれは感じる。
死ぬというのは、人生のひとつの壁で、
命あるものは、はかないという理念を日本人は掘り下げ続けてきた。
だからこそ「わびさび」ができたのよ。
同時に戦時中の「特攻」ってものもね。
それは何よりも死を認めているからだと思うわけ。
茶道やら華道やら陶芸にしても
命を内包した形あるものは、いずれ滅びる。
華道なら枯れる、陶芸なら割れる。
でも記憶に残る。
それらは決して死が怖くない人同士の対話ではないわけ。
陶芸や華道の美しさは、死ぬことを超越するのでなく
逆に死ぬのが怖いから生まれてきた日本人ならではの考え方なんだよ。
だからどの民族よりも死を受け入れられる。
日本には仏教と同時に儒教という考え方も入ってきていて
死んだら何かに生まれ変わるっていう価値観じゃない。
言い換えると、世界に伝わる一般的な輪廻論理ではないわけ。
特に爺ちゃん婆ちゃん世代は。
例えば、死んだら土塊かなにかになるんだろうけど
自分という意思は生き続けるから、
それが後世に伝わる=生き続けるという輪廻理論に達してるわけ。
意思=遺志が伝わるのが日本人輪廻ではないかな。
箸はその典型的な例だよね。
どこまでヒントになるかは分からんけど、
ナイフやフォークってのは命があったものを
切り刻んで突き刺すわけ。
死に意味を持つ日本人の文化じゃないわな。
だからこそ、箸っていう、つまんでほぐすものができたのよ。
命あったものが、迎えるべき最期の形態として自分は箸文化を美しいと思う。
浅くて大したことのない自分の考えだけど、
こういうことの極論が特攻だったのかもしれないよ。
きみは日本人として爺ちゃん婆ちゃんを撮ろうとしている。
だからこそ、おれは「わびさび」をちょいとでも分かる人間でいてほしい。
それはきみが日本人として作品づくりするための
最大のよりどころでもあると思う。
おかだ [う、うわぁ。ブライトン・・・。]
かんりにん [いかした音楽やってるクラブ、見当たりませんがな…。つことで、ブライトン。]
A@TOKYO BAY [ヽ(`Д´)ノ ウワァァン!! 俺のブライトンに何てぇことしゃがるんでぇコンチクショウ!!!!! ・・・と言いなが..]
かんりにん [後日、おれの想像していたブライトンを見つけました〜。]