2004-04-16 モスク☆
MAZARISHARIF
今日はみんなでモスクに行こうということになった。昨日行っていても、まだ足りないと感じていたので、こりゃちょうど良いチャンス。最初は男4人で行っていたけれども、あまりの人ごみにヨシヤ以外のすべてを見失う。まぁ、いっか。相変わらず今日もすごい人出。なんか昨日よりも催し物が多い気がする。磁石でコントロールするレーシングゲームや、チープな写真が変わっていくメガネ、手相屋、体重計屋、さまざまな店が出ている。自分とヨシヤはそのうちのひとつの店に釘付けになった。なんと、コーランをスチール製の入れ物に封じてペンダントにしているのだ。オレは2つ、ヨシヤは3つも買った。さて、ふたつといっても、残るひとつをどうしよう。「大切な人にでもあげますか」とか、「なんかそれってその人をイスラム教徒にするみたいだな」とか、いろいろ話しながら今日もモスクに参拝する。どうやら携帯電話は禁止のようだ。看板にそう書いてある。時代は、ここまできたか。アフガンにもモバイル。すごいことである。夜はマザールのランドマークとなっているマスードの肖像画を撮る。こんなに民族という団体を意識させまくっていいのかな?と思うけれども、これが現実である。フルーツシェイクを飲んだ。ここのは、これまでの旅の中で一番うまいっ!そんなこんなで夜はふけていく。
2007-04-16 カフカス三国(コーカサス)
okurayama_yokohama
昨日の夜、NHKスペシャルでアルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、ナゴルノ・カラバフの特集をやっていた。行ったところで例えると、フンザ+アフガン(北のロシアに近いところ)+トルコ+ブルガリアの要素が交じり合ったところに見えたが、そりゃそうか、それらの間に位置しているんだから。すどーんと雄大な山塊となだらかに続く高地。谷間にポコポコとボロボロの集落が寄り添っているのを見るとフンザのようにも見えるが、その半分は戦火で廃墟と化している。ちょっと前にも同じくNHKスペシャルでボスニアのモスタルをやっていたが、近しい感じがした。なんだろう?この不思議な感覚は。
共通するのはキリスト教とイスラム教が何度も交互に侵略し合ってきたシルクロード(狭義ではイスタンブールから東だが、広義では西欧から東とも言えるので今回はこちらを採用)の要衝ということ。また、エリア内に多民族と多宗教が入り交じっているということ。この条件が整うと、戦いが起こってしまう。また、カフカスの場合はカスピ海油田の関係で、巨大国家のカネや兵器といった介入が避けられない。ここでも一般市民が何世紀にも渡って現在まで血を流し続けてきたのだった。そして、他のエリアと同じくいまも隣国のことを嫌って生きている。
番組を見た後、歩き方と旅行人でこのエリアの本を見てみた。興味があったし、2004年旅では帰国方法のひとつにシベ鉄を考えていたので購入したものがあったのだ。基本情報などをまとめてみると、このエリアは行きやすいかもしれない。日本にしばられつつ生きていても、うまいこと回れば短期でも満足できそうである。というのも、国土が狭いからだが、ノアの方舟が流れ着いたアララト山があったりと見るべきものはたくさんある。つまり効率が良い。チャリやバイクで回れたらいいんだけどなぁ…。前から長期ならアフリカか南米、中期なら中央アジアかアラビア半島と考えていたけれども、短期×数回で中央アジア分割払いが視野に入ってきた気がする。それにしてもはよ出国したい。。。
21世紀になって、失われないものと失われゆくものが明らかになってきた。最初はネット社会の広がりで「秘境」がなくなったりしちゃうんじゃないだろうか?と恐れていた。でも、最近それはなくなってきた。たいていの旅行者というのはネットか何かで質問したり拾ってきた情報のおさらいをしに行く傾向がある。つまり、一般論の流布のおかげで、マイナーなところが守られる気がしてきたのだ。いろんな掲示板で「どこに行けばいいですか?」とか「どこがおもしろいですか?」と聞いて、一般論を述べる人が「ああですよこうですよ」と書き込み、そこへ行く。この流れが積もれば積もるほど、マイナーなところはより一般論のデータ量が莫大に増える。結果、調べても一般論だけが出てくるようになると前向きに考えたのだ。だからこそ、ザイール川下りやカムチャッカ半島なんかの秘境はあせらずとも良い気がしている。
で、失われるもの。これはもう今を生きているんだから、できるだけ多くのものをこの目で見てみたい。肌で感覚を吸い取りたい。代表的なもののひとつ目は「共産主義のにおい」。楽しいかどうかは人次第だけれども、自分は「なくなってしまう!」と思っているので焦っている。東ヨーロッパやコーカサス、中央アジアはその代表的なところだ。左右対称でやたらとどでかく威圧的だけど画一的な建物が、これまた画一的に並ぶ無機質な風景。そのくせ、道はと言えば舗装が剥げて、停電しやすい電線からうーーーーーんとアームを伸ばして走るトローリーバス。人や建物は惑星大アンドロメダ(@銀河鉄道999のすべてが機械の星)に来てしまったかと思うほどカチカチなのだが、こと生活インフラだけはおもいっきり有機的。「そっちは有機的で、こっちが無機質でしょ!普通は!!!」と突っ込んでしまうファニーな旧共産主義文化がなくなってしまう…。この前、絶対にムリだと思っていたルーマニアとブルガリアがユーロ入りしてしまったし、もうこれは本当に危ない。特にポーランドとチェコは面影も少ないもんなぁ。
で、失うもののふたつめは「環境破壊がもたらす地形や自然の変化で終わるもの」である。例えば南太平洋のツバルは海面の上昇で島自体が沈むと言われている。いや、正確に言うと沈むのは島という概念では小さい。国がなくなる。また、山の風景もまったく変わる。モンブランやエルブルース、ナンガ・パルバートなどでは氷河を含んだ風景がなくなりつつある。キリマンジャロも万年雪が姿を消しているとか。大きな豊かさと引き換えに、大自然を切り売りしてしょうもない欲を満たす人類の環境犯罪の結果は見ておかなくてはならない。将来、孫とかに「おじいちゃんの時代は日本でも雪ってのが降ってね…」とか話すんだ。んー、孫に何を聞かれるか考えていたら「森って何?」とか「川岸って土だったの?海岸線って砂だったの?」とか聞かれたらどうしようとか考えてしまった。暗いな、世界の未来は。記録せな。
ということで、コーカサスはいいねぇ。ぜひ、行ってみたいぞ、絹の道。
おかだ [おお。あれは昇格しての話やったんか。]
uracci [昇格っていうか、まぁおはずかしながら。でれでれ]