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sawadee!!紀行+


2004-04-09 バーミヤンへ

KABUR→BAMIYAN

アフガニスタンのハイライトのひとつバーミヤンへ向かう。交渉したのはハイエース。値段も手ごろに落ち着く。人数はぎゅうぎゅう。9人しか乗れない座席に12人が乗り込む。短距離ならまだしも長距離の移動である。これはなかなかつらい。みんなで特にツライ席を回し持ちして10時間ぐらいバスに乗った。途中の道は絶景に次ぐ絶景。砂漠とも高原とも山ともつかないところを走り、ついには雪道となった。そのあとは、ずんずん高度を下げていく。バーミヤンの手前の村が美しかった。緑が一面に広がる畑、小川、そしてエンジ色の山。乗り捨てられたスウェーデン軍の戦車。土煙を吐きながら車は進んでいくが、またしても着く随分と前から金をよこせ金をよこせ。しばいたろか!
バハールという宿を見つけ、値段交渉を済ませ、チェックインをしようと建物の裏側へ降りようとした。タリバンに破壊されたブッダ像が見えた。あれか!あれを見るためにここに来たのだ。その手前では草サッカーをやっていて、平和がやってきつつあるのを感じた。ヨシヤとサッカーに参加して、夜飯を食べた後、事件はおこった。「毛布が足りません」。だから、さっきここに5人チェックインするって言ったでしょ!どうしてあとのことを考えられないんだよ。オレとヨシヤが特にプッツリきてしまって、「それでも、オマエたちのを持ってこい」と詰め寄りまくった。イローナが「本当にないのよ」とかばおうとしたけれども、火のついた自分たちを止めることはできなかった。結局、あと2枚持ってこさせて合計4枚。まだ一枚足りない。テントとスリーピングバッグカバーを持っている自分が損をかぶることにした。部屋の中にテントを建て、それがオレの仮住まいとなった。バーミヤン一日目は、モメまくって終わったのだった。そして数日後にまた事件が起こる。今度は怒りに我を忘れそうになる事件だった。詳しくは数日後の日記に。
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2005-04-09 懺悔がち

tokyo

2000年春のバンコクあほあほ軍団+2004年パキスタン〜アフガニスタンとイスタンブールばかばか軍団+2名の女子で飲み会をする。その中心にいたのはほかならぬ大学同級生のヨシヤ。東京に着た名目は「ダライ・ラマの講演を聞くため」だったが、飲み会では「サッカーのできない中村俊輔みたい」とか散々な評価を受ける。スゲノは福島から車でわざわざ来て大塚組を大塚まで送ってくれたにもかかわらず「送ってくれてありがとう」というお礼を別の人に取られてしまうし、コウタローは「小さいおっさんか大きな子どもか選べ!」とせまられていた。淳くんは相変わらずのマイペース。会話界のパルプンテとは彼のことである。
と、他人事のように書いたけど、これらは自分がガンガン突っ込んでしまったことなんだよねー。この場を借りてお詫びするとともに、次回はさらにパワーアップしておきまぷ☆みんなまたムチャをしよう。駐車場の出口を歩きで逆走するなんて序の口だ!

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

yoshiya [先日は楽しかったですよ。 正直、サッカーのできない中村俊輔ぐらいでよかったわ。サッカーのできない北沢豪とかいわれるん..]

uracci [年内おれおりそうやわぁ。また飲もう。次の日、休みにしとこ。ていうかyoshiyaは東京に来るべきよ。東京で仕事せなア..]