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sawadee!!紀行+


2004-10-18 写真をアップ

ANTAKYA→ALEPPO

移動日でした。さぁ、シリアを楽しみます。本当だったら5月の中旬には着いていたんだけど、5か月も遅れちゃいました。長かったよ、ヨーロッパが。さて、中東。なんですが、ここらへんでオリンピックとトマティーナの写真でもどうぞ。バレー・鈴木の金・トマト投げる前、です。 画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明


2005-10-18 引越してから三週間目。進展なし。

okurayama_yokohama

今日も、昨日も、一昨日も、その前も、風呂、メシ、睡眠、トイレ、呼吸、以外は仕事をしている。それなのになぜか11月の収入が心もとない。せっかく横浜かつ自然の中に引っ越したのに、その恩恵を受けることができん!
冷蔵庫やらレンジやら固定電話はクリア。でも、ブロードバンドとfaxと家具をゲットするのと区役所に行くのが難関だ。この後の予定も、ホームページづくりやら、国土交通省系の調査やら、いろいろてんこもりで、いつになったら人権が復活するのかと考えてみれば…
年度末が近付いているではないか。無理だ。とりあえず3月末までは働きまくろう。そうしよう。夢だった貯金もしてみよう。ここで基礎を固めて…
春先はドロンするかもしれまへん。ホントは南米やらアフリカに行きたいところだけど、せっかくアジア関係の雑誌と仕事をさせてもらっているので、またアジアだろうなぁ。次はインドネシアやフィリピンに行ってみたいのぅ。久しくアジアの海と遠ざかっている。と、思えば親友のヨシヤが来週あたりにチベットと中国から帰ってきて感化を受けるかもしれない。
最近、つとに思うことがある。バンコクを題材に写真を撮り、ものを書けたら本物かもしれない、と。いま書いている中で、バンコクは2ページやってるんだけど、まぁがんばってみたつもり。乞うご期待☆(=そのうち掲載されます)


2006-10-18 一本柔道

okurayama_yokohama

思ったことを包み隠さず昨日の日記では書いた。だから今日も書こう。日本女子柔道、アテネ五輪の話である。これまた、回顧録的旅日記というわけだが、さてはてどうなることやら。

その瞬間、数秒だけ静けさがあった。柔道といえば日本のお家芸。当然、観客も多く、試合のほとんどの時間はニッポンコールに会場が包まれていたと言ってもいい。四角い試合場の中にいるのは阿武教子選手。78kg級の日本のエースだ。だが、過去二回のオリンピックは天才の名をほしいままにした姿の影もなく初戦敗退。三度目の正直ということで、この決勝の舞台に臨んでいた。
試合は序盤から相手の中国選手が優位な状態。この日は日本男子柔道のエース、井上康生選手が負けていた。会場に向かう市営バスの中でやたらと日本語が流暢なイスラエル人から「日本のイノウエ負けたネー。おれはイスラエルの選手をオウエンしにイクンダー」と言われ、旅仲間ともどもチケットを転売しようかと相談したほどの異常事態だった。阿武教子選手が有力な選手だと知ったのは、実は優勝後のこと。それまで、自分はそんな苦労人だということを知らなかった。
10分という試合時間は実は長い。常に気を張って、目に見えない押し引きを繰り返す柔道という競技は、体力的消耗も精神的消耗も驚くほど早い。実際、2階席から見ていても阿武教子選手の動きや汗が見えるほどの緊張感。ウエアの中の筋肉は相手の動きをレーダー探知機のように察知し、数グラムの差でも傾いてしまうような力のバランス合戦を司っているのだ。一進一退を繰り返す互角の攻防。そこに、我々日本応援団が声をかける。背中を押す。精一杯の声を張り上げて叫ぶ。「ニッポン!ニッポン!ニッポン!!!!!」。だが、相手は決勝まで残った選手。そうは簡単に我々を喜ばせてくれない。そうこうしているうちに相手の方が開き直ったのか、ポイントこそリードしているものの、また相手に試合のペースを握られ始めた。こうはしていられぬ。おれたちも精一杯の声を張り上げて叫ぶ。「阿武!!!!!がんばれーーーー−!!!」。「ニッポン!」というコール以外にも、そういった独自の声を出す有志の声は時折遠くから聞こえてくる。大きなうねりのような「ニッポン!」というコールの間隙を突くような、阿武を、日本を応援する一個人の想い。たまに溢れてくる声が、さらに応援をかきたてる。「そうだ、阿武、がんばれ!おれたちが付いているんだから」。あぁ、そこにも阿武選手とシンクロしている人がいる。ほら、そこにも声を枯らせている人がいる。おれもこの会場にいる限り、力の限り叫ぼう。ニッポンでも、阿武でもよい。この力の集合体を大きくするんだ。そして、おれたちの代表の阿武選手に力を100%、いや120%の実力を出してもらうんだ。そういう気持ちの中でおれは「シッカリ!」とか「ニッポン!」とかランダムに繰り返していた。何度も言うが、柔道の10分という時間は長い。ここまで、たった4分間。常にスローモーションのような流れで、試合が目に映し出されていく。そして、相手の引く手と阿武の引く手が同時に展開され、完全にお互いの動きが止まった。力のバランスが五分五分になったのだ。同時にそれまでの「ニッポン!!!ニッポン!!!!!」というコールがやんだ。ときおり聞こえてきた個人的な阿武への勇気づけの声もこのときばかりは聞こえない。超高層ビルの狭間のような、本当に数秒間だけの時間、アテネの柔道会場は無音状態になった。水を打ったように静まり返る会場。目の前には固まっている二人の最高峰の柔道選手。
一瞬が長く長く感じる膠着状態。その時空を切り裂いたのは初老の男性の声だった。ただ一人、透き通った透明な声で「一本柔道ーーーーーーーーーっ!!!!!」と叫んだのだ。それはどこまでも突き抜けていくような、日本柔道の黄金期を知る者の叫びだった。柔道王国、日本が背水の陣となり自然に出た魂の叫びだったのだ。音の大小ではない。会場の日本人もブラウン管の前の日本人も、その声は感じたことだろう。瞬間、阿武選手の体が相手よりも一瞬だけ早く反応した。そして対戦相手の劉霞選手の体は宙を舞った。一閃。決まり手の袖釣り込み腰は、阿武選手が二度の初戦敗退を乗り越えた正真正銘の三度目の正直だった。そして、おれたちは阿武選手とともに表彰式で胸を張って泣いた。挫折、誇り、希望、夢、いまここにいる瞬間、感謝、いろんな魂の象徴が壇上に輝く日の丸だった。大きく雄大に掲げられたそれに向かって阿武は泣いたのだった。


2006.Oct.18〜2004.Sep.19の出来事〜
uracci

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

くろ [コーフンしてしまった  会社にて。 きのうはふみん。]

オサム [いい文章書くようになったなぁ。 すごいや。 ええよ!!ええよ! 最近忙しくてふみん。]

ニーチェ [熱いな!]

uracci [くろ> 職業に貴賤はあるけど、 ハイアマチュアのスポーツ・格闘技に貴賤はなし。 ガチンコの良さ+伝統の良さの融合だっ..]