2005-05-09 こころざし
tokyo
ドミで同じ部屋にいる淳くん。彼ときたらもうとても(中略)。という話はさておき、その淳くんは前回の旅で、パキスタン(フンザ・ラワールピンディー・ペシャワール)、アフガニスタン(首都と中部・北部)、トルコのイスタンブールをともにした。そして、彼はまた旅立とうとしている。カメラを携えて行くのでインドネシアのバンダ・アチェを訪れる確率は高いのだが、その会話をしていて違和感を覚えた。
日本の国民たちはアチェで淳くんがイスラム原理主義組織にさらわれたとき、イラクのときのように彼の家族を叩くのだろうか?おそらくそうはならないだろう。イラクとアチェでは知名度が違い過ぎるのだ。差はそんなにないにも関わらず。だが、同じ方向性の志を持ってイラクに行って何かあれば、本人はおろか家族もえらいことになる。イラクの話でチクリと言わせてもらうと、それは彼が無名だからに過ぎない。有名カメラマンやジャーナリストがつかまったら、何もしないどころか哀悼の意を示すだろうにね。
この日本国の風潮を国民からのメッセージとして受け取ると「無名だからダメだ」「流行りだから叩く」ということしか浮かび上がらない。戦場や被災地へ行けとは言わない。だが、政府やジャーナリストを育てるのはすべての国民である。産油国=イスラム教の国であることが多いいま、穀物の自給率が30%を割ってしまった日本の将来を考えると石油に関する情報は国の命綱であろう。親兄弟・親戚・大切な人・友人たちが悲しむのも確かだが、21世紀になったいまもカタチを変えて我々はジャーナリストという人柱を必要としているのだ。愚かなことに。
だから、ごちゃごちゃ言ってはならない。自動車産業はもちろん、薬や化繊製品、プラスチックなども石油製品なのだ。これらなしで生きられる日本人はまずいない。その情報や製品を(使えるときは)使い、その価格変動に一喜一憂する小さな我々は、志を持って進むジャーナリストのジャマをしてはならないだろう。国というもので人類が分たれている限り、ジャーナリストが祖国に持ち帰る情報をずっと必要としてしまうのだから。ただ、志に酔って行動を起こすジャーナリストは最も必要としていない、というのも確かなことである。がんばれ、淳くん。
JUN [そーかそろそろ淳君出発? この前淳君に写真撮る時の想いについて聞かれたよ。うちもやろうとしてる事に対する根本的な質問..]