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sawadee!!紀行+


2005-02-17 未来には順風。

tokyo

大きな企画が立ち上りかけている。自分が考えたものではなくて「実現したら、uracciにも頼もうと思ってるのよ」という話だけど、こりゃ負けたわ。先輩の実力というのを、まざまざと見せつけられた。できる!と確信していることだけれども、実際に動き始めたら当面はこれでいっぱいいっぱいになるなぁという幸せな企画。おれもがんばります。ガツンといきましょう。
そして、自分が書いた企画。世の学生に夢を持ってもらえたらってもの。お昼に某教育関係の編集をやってるイソちゃんと藍さん、ミキさん、別の会社だけどオサムと昼ゴハンに行ってプレゼンした。塩サバ&コロッケ定食をつつきながら。正直、「その線で我々も動いているんですけどねぇ」と、企画に食い付きはあると言えないけれども、頼めば書ける人(かもしれない)とは認識されたはず。コピーライター時代に取材ものに行っててよかった。これから、やらなアカンことは山ほどできてきた。目先のオカネ以外は順調なり。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

tasom [目先のお金もまぁ生きてくには重要だけど、でもやらなきゃいけないことが山ほどあるって、これほどの贅沢はないんだと思うの..]

uracci [多分、おれの周りで、いや、きみの周りでも生きるだけのために必死にならなきゃならん人は少ないと思う。人を見て学ぶことは..]


2006-02-17 あんなことしなければいいんですよ

okurayama_yokohama

創造性というのは、インスピレーションからくると思うのだ。そのとき、そこで、何かを閃いたら体が先に動く。そういう精神ルートが必要なのではないのかなぁ。
今日、ボーダークロスの女子の決勝で波乱があったのはご存知の人も多いだろう。簡単に言うと、女子でトップを走っていたアメリカの選手が最後の方のエアでトリックを入れたらすっ転んで、金メダルが手元から去っていってしまったのである。それでいいと思うのだ。なぜなら、特に冬の五輪ってチャレンジ精神のある国民性ほど強いのだから。アメリカは単にひとつの金が銀に変わっただけなのである。ほかの競技では、ぶっ飛んだエアを見せたり、スピード競技で限界カリカリまで行っちゃえるもの。
積み重ねていくものは何も肉体と競技経験だけではないんとちゃうかなぁ。極限の中でインスピレーションを感じ取り、それに従い、肉体がその感覚に素直に従えるようにしていくことも必要よ、きっと。それが本番での強さに必ずつながると思うのだけど。そのときアナウンサーが一喝した。「あんなことしなければいいんですよ」。あちゃー、と思ったね。これが日本という国の思考の代弁なら、サッカーの将来も壊滅的だ。ファンタジスタなんて生まれてくるはずもないし、ましてやファンタジスタのパスを受けられるFWなんて出てくるはずもない。メダル不足をガマンできないから、いろんな競技の楽しさや全体的な将来性やらが空回りし続けている気がする。競技者はすでに限界の前後で戦っているんだから、あとはおれら視聴者がそういう文化を育てて後押しせなアカンのちゃうかなぁ???でも、アナウンサーや責任を負う監督からしたら、選手に「一事が万事」とか言うてまう気がする。コツコツとわぉ!が逆転しちゃってるんかいな?


2007-02-17 伝導師

ryogoku_tokyo

プロレスはやっぱりおもしろい。ちょっと待った!「プロレスの話か…」と思ってるのに、吉本新喜劇を見る人、連ドラを見る人、お笑い番組を見る人、芸術好きの人は、プロレスってオススメよ。うーん、あとはキン肉マンが好きだった人も、かなりプロレスを知るべきだと思う。
まず、プロレスを簡単に言うと、30年以上続いている筋書きの【ある】ドラマであるということ。毎試合結果が決まっているわけではないけれども、数日間の1シリーズや季節単位での流れは決まっている(と言われている)。その終着駅に向かって、試合をするレスラーたちはアドリブで技をかけたり、アドリブでマイクアピールなどをしたりしているわけだ。例えると、ライブペイントとか、アドリブの多いお笑い芸のような、頭の中で弾ける一瞬の切り返しみたいな要素が必要なのである。そのときに動くのが口や手ではなく肉体ということは違うのだけれども、瞬間の閃きやレスラー同士のあうんの呼吸は相当に要求される。そういう点ではレスラーは負けたっていい。今後の展開を作ったり、良い閃きを見せてくれたり、唸るような技をかけたりかけられたり、いや、ただ耐え忍ぶだけでもいいから「おっ!」と思うような「良質な試合」をすれば、それでよいのだ。そういう意味ではリング内だけでなくマイクパフォーマンスが抜きん出ているだけでも、相当にいけてるレスラーなのである。ようは、お客が喜ぶことをして勝負するのが大切なのだ。
総合格闘技も閃きが必要とはいえ、反射神経や筋肉など肉体そのものの素質に頼る要素は大きい。学校で習う教科で言えば「体育」が得意でなければならない。だが、プロレスラーに必要な科目はなぜだか「美術」も入ってくる。よく「なぜよけないの?」と聞かれるけれども、それは受けて勝つのが美しいから、としか言いようがない。技を受け合い息を切らせている様は、見始めた最初の頃は疑問の対象だったり、泥臭かったりするんだけれども、クセになってくるのだ。「おれはお前より強い」と言うにあたって、何が説得力があるかは意見が分かれるところ。体育のキレやインパクトで勝負をするのか、それとも相手の得意なものを受けきって技術を出し切って勝つのが美しいか。プロレスと総合格闘技の違いはそこにある。また、技をきれいに決める、もしくは決められるためには美意識が必要となってくる。あと必要な科目は、「道徳」。これをあえて悪用するのが、いわゆるヒールと言われているレスラーで、ヒールと対抗する正規軍のレスラーはたいてい「道徳」を善用する。いろんな技があって、いいやつとか悪いやつとか、さらにはおもしろいやつ、丈夫なやつ、ひ弱だけれどもすばしっこいやつ、勘違いしているやつなどなど、いろんな個性のレスラーがいるなんて、まさしく社会の縮図じゃない?それを肉体で語り、たまに星のかけらが飛び散るような伝説の名試合が生まれる、ぼかぁそんなプロレスが大好きだ。てことで、今日は両国国技館へ行ってきたのでした。