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sawadee!!紀行+


2003-01-01 試験運用 [長年日記]

kobe

●見出し案01
カレーのシェアは約2割。
(シンガポール共和国)
華僑が多いことは知られている。実際に行くと、マレー系やインド系、アラブ系の民族も多い。風習や言語もそれぞれのものを守っているため、多民族国家というよりも、他国家連合国の様相を呈していた。それだけに、食も豊富。民族の数だけメニューがある。
※写真/プールに人種の壁はない。
▲ウォータースライダーでは、広東語・マレー語・タミル語などで叫び声が聞こえる。インド系の住民がプールで沐浴をしていた。

●見出し案02
喫煙スペースは、やり手商社マンの社交場。
(シンガポール共和国)
ビル街にたったひとつの喫煙スペース。そこでタバコを吸うと、日本語で話しかけられることが多い。一流タイヤメーカーの素材買い付け担当者と話をした。喫煙マナーに関して早い段階から対策を講じてきたことが逆に幸いし、昼でも商社マンたちが情報交換できる場となっていた。
※写真/タバコの吸い殻
▲シンガポールのタバコ料金は一箱500円ほどと高い。そのせいか、みんな最後まで吸う。税金は福祉や交通などに還元されている。

●見出し案03
アジアの若者は、日本を意識している。
(ジョホールバル/マレーシア)
日本というブランドが世界の若者にウケている。欧米人は漢字のタトゥーを体に彫り、東南アジアでは片仮名や平仮名をあしらったTシャツをよく見かけた。ここマレーシアでは、ついに日の丸プリントのジャージを発見。若い世代同士での新しい国際交流が社会を変えていくかもしれない。
※写真/日の丸ジャージ
▲もちろんマレーシア製。娯楽とファッションでアジアをリードしている日本だが、ここまで来たかと感じた。

●見出し案04
チベット亡命政府はインドにあった。
(ジャンムー&カシミール州/インド)
インドといえばヒンズー教のイメージだが、最北部の州は多宗教が混在している。ヒンズー教徒の他にもムスリムやチベット仏教徒が住むこの地域はラダックという。中国のチベット併合によりインドに亡命したダライラマを慕う人がその際にラダックへ逃げ込んできたのだ。
※写真/スピトクグストール(仮面舞踏)
▲元々は仏教勢力が凌ぎを削っていた土地だけに、密教各宗派の仏跡や行事が数多く残されている。

●見出し案05
ラダックにおける凍傷の伝統治療。
(ジャンムー&カシミール州/インド)
川が凍ってできるシルクロード、チャダルで途中で友人が凍傷になった。伝統医学の心得があるという茶店の店主に治療してもらった。真っ赤になるまで熱したナイフを指先に押しつける。あまりの熱さに断末魔の悲鳴を上げた友人だが、凍傷の進行を火傷に変えて防いだのだった。
※写真/治療後の友人
▲この後、偶然来ていたインド軍保険部隊と出会い、消毒などの適切な処置を施された友人。

●見出し案06
世界で愛されている球技、クリケット。
(ジャンムー&カシミール州/インド)
大陸アジアや欧州、豪州では野球よりもクリケットの方が愛されている。野球の五輪開催が危ぶまれた経緯には、興行収入もさることながら、競技・観戦の人口という要因もあったのだ。特にバングラデッシュ・インド・パキスタンの国際試合は、街のインフラがストップしてしまうほど盛り上がる。
※写真/雪の中クリケットに興じる軍人
▲晴れの日は必ず目にするクリケット。残雪も気にせず、軍人と住民の草クリケット試合が開催された。


2003-01-02 試験運用2 [長年日記]

●見出し案07
自給自足できる国の市場は大きい。
(デリー/インド)
インドの穀物自給率は92%、総生産量は1億8905万t。これは2002年にFAO(国連食糧農業機関)が調べたデータである。人口増加の影響で自給率が下がり続けているものの、庶民の胃袋を満たす市場は健在。ありえないほどの活気にあふれていた。ちなみに日本の穀物自給率は24%である。
※写真/市場で休む店主
▲何種類もの野菜をところ狭しと広げて商売する八百屋。夕方はかき入れ時である。

●見出し案08
インド人=ターバンというわけではない。
(アムリトサル/インド)
日本人がイメージするインド人像は、ターバンを巻いているのではなかろうか?実はターバンをまくインド人は、人口のわずか1.9%にしかすぎない。その理由は宗教。シーク教徒が身につけているのだ。信者の多くはビジネスに長け、海外に進出している。そのため、米国や欧州でもよく目にする。
※写真/沐浴するシーク教徒
▲ヒンズー教を進化させてできたシーク教。沐浴も行う。後ろは、お布施でできた黄金寺院。

●見出し案09
国旗降納式までもいがみあう両大国。
(ワガボーダー/印パ国境)
核実験の競争や国境紛争など、インドとパキスタンは常に対立し続けてきた。その両国間の国境で一般外国人が通行できる場所はワボーダーのみ。実はここでは、国旗を降ろす対抗セレモニーが毎日行われている。兵士が行進して旗を降ろすまでの30分間、両国の観客席からは応援が乱れ飛ぶのだった。
※写真/国旗を降ろす両国の代表者
▲威嚇し合うような行進セレモニーの後、国旗が降ろされる。以前はどちらが早く降ろせるかまで競っていたらしい。

●見出し案10
対戦相手が噛み合ない戦争。
(ラホール/パキスタン・イスラム共和国)
アメリカはテロとの闘いを今年も継続する。ムスリムに対してではない。ムスリムは、イスラム教を脅かす外敵と戦っている。アメリカと戦争すると明言はしていない。ウサマ・ビンラディンもジハード(聖戦)と言った。攻撃しあうお互いが、対戦相手を名指ししない奇妙な戦争である。
※写真/アルカイダのポスター
▲政治的なポスターは非常に多い。パキスタン庶民のほとんどはアルカイダを好意的に受けとめている。

●見出し案11
レッカー移動はパキスタンにもあった。
(ラワールピンディー/パキスタン・イスラム共和国)
しっかりと固定されていないのはご愛嬌。パキスタンにもレッカー移動はあるようだ。ちょうど取り締まりの時間に出くわしたらしく、何台ものフォークリフトが行きかう。もちろん特権階級者が愛用する車種が一切ないのは、どこの国も同じことのようだ。
※写真/レッカーされる車
▲聞き慣れない音がしたので振り向くと、車を掲げたフォークリフトが走ってきた。

●見出し案12
日本を代表する山男が愛した村。
(フンザ/パキスタン・イスラム共和国)
故・長谷川恒男氏をご存知だろうか?アルプス三大北壁冬期単独登頂や南米大陸最高峰アコンカグア冬季単独登頂を成し遂げた、日本が世界的に誇るアルピニストである。その氏が1991年未踏峰ウルタルIIを登攀中、雪崩に巻き込まれ死去。遺書に基づき、地元の人のために学校を建てた。その場所が、ここフンザ村である。
※写真/フンザの全景
▲春には杏やアーモンドが咲き乱れ、桃源郷のようになるフンザ。最近は個人旅行者にも人気。

●見出し案13
真逆の常識。
(ペシャワール/パキスタン・イスラム共和国)
宗教観の違いとは、ここまで如実に現れるものか。アフガニスタン国境に近いパキスタンの街で映画を見た。内容は薄いが、何よりもとあるシーンに驚かされた。主人公は一度きりの飲酒で人生が崩壊してしまう。次のシーンではその子分が大麻タバコを作っていたが「仕事をサボるな!」と見当違いの理由で怒られていたのだ。
※写真/映画館の看板
▲国の倫理観が現れる映画。ペシャワールでは銃撃シーンと大麻は常識。しかし、酒だけは御法度。

●見出し案14
世界のトヨタ、アフガニスタンで活躍。
(カブール/アフガニスタン・イスラム共和国)
とにかくトヨタ車が多い。中でも群を抜いているのは、カローラ。車を持っている人のほとんどが、ロシア製の旧型車かトヨタのカローラなのだ。タクシーは、4WDバンかカローラのワゴン。これはカブールだけでなく、アフガン全土に言えることである。
※写真/カブールの目抜き通り
▲市バスはロシア製。黄色く塗られた車はタクシーだが、ほぼすべてがトヨタ車である。

●見出し案15
大仏破壊のバーミヤン、平和へ一歩前進。
(バーミヤン/アフガニスタン・イスラム共和国)
バーミヤンの仏教遺跡がタリバンに爆破されたのは記憶に新しい。その後、米国との戦争を経て今に至る。復興は進んでいるとは言い難いが、民衆は明るさを取り戻しつつあった。数少ない地雷の心配がない広場ではサッカーが毎日のように行われている。最近ではユニフォームまでそろえ始めた。
※写真/バーミヤンとサッカー
▲タリバン時代には御法度だったサッカーは、世代を越えた人気を誇る。北部ではバレーボールも盛んだ。

●見出し案16
世界で最も忘れ去られた湖。
(バンデアミール湖/アフガニスタン・イスラム共和国)
世界でも指折りの美しさを誇る湖がアフガニスタンにあった。国土の中央部に位置するバンデアミール湖である。湖は標高の高いところから何層にも重なっていて、一番下が濃紺色(曇の日は紫色)、次の層がエメラルドグリーン色、その上がまた濃紺色という破壊的な風景が広がっていた。
※写真/バンデアミール湖
▲荒涼とした景色が美しさを際立たせる。地雷のせいで道や家がないから、とは皮肉なことだ。

●見出し案17
羊にもコーランは適用される。
(ドゥシ/アフガニスタン・イスラム共和国)
イスラム教徒の食事には厳しい戒律がある。獣類は反芻し蹄が分かれているもの、水中に棲むものではヒレとウロコがあるもの。禁制品の例としては、ラクダ・豚・野ウサギや貝・タコ・イカ・カニ・エビなど。食べてもよい動物も、メッカの方角に向かせて血抜きをしたものでなければならない。
※写真/マトンを切る男
▲アフガニスタンではマトン以外の肉を滅多に口にすることはない。


2003-01-03 試験運用3 [長年日記]

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●見出し案18
カルザイ政権の組閣バランスが占う、アフガンの未来。
(ドゥシ/アフガニスタン・イスラム共和国)
そもそもアフガニスタンは多民族国家である。タリバン政権以前は、タリバン率いるパシュトゥン人、故・マスード将軍(写真)が率いるタジク人、チンギス・ハーンの子孫といわれるハザラ人、その他にも国家が入り乱れて戦国の様相を呈していた。2004年現在、どの民族も独自性を忘れたわけではない。
※写真/マスードの肖像画とタジク人
▲故・マスード将軍に忠誠を誓うタジク人。いまなお彼の肖像は北部の街のあちこちで見かける。

●見出し案19
サウナ後の笑顔は万国共通である。
(マザーリシャリフ/アフガニスタン・イスラム共和国)
中東〜南アジアでは風呂がない。その代わりにハマムという公衆サウナがどの街にもあった。トルコや中央アジアでは大きなサウナに所狭しと人がいるのだが、アフガニスタンのそれは個室になっている。子どもから大人まで入りに来るが、アフガニスタンには女性用がないことも多い。
※写真/ハマムから出てくる兵士
▲銃を持って、湯気の張るサウナから出てきた兵士。銃弾に湿気が入ってしまってもお構いなし。

●見出し案20
世界でも手のシワは人生を語る。
(マザーリシャリフ/アフガニスタン・イスラム共和国)
私たち日本人の生活にも密着している手相術が、アフガニスタンにもあった。よく調べてみると、3000〜5000年前の古代インドから始まったとする説が有力らしい。シルクロードを通り、アフガニスタン、中東、ヨーロッパへ伝えたのはジプシーとのこと。
※写真/手相を見る人
▲特にギリシャではプラトン、アリストテレスなどが手相術に興味を持ち、著作も多く残している。

●見出し案21
いたるところでケシが栽培されている。
(バルク/アフガニスタン・イスラム共和国)
タリバン時代に禁制品となり、栽培した者は処刑されていたケシ。実際、2002年までは生産量が激減していた。しかしながら、タリバンが米国に駆逐されて以来、またケシを育てる農家が増えているようだ。筆者が民泊した家も広い敷地いっぱいに育てていた。
※写真/咲き乱れるケシ
▲欧州・アメリカに流れるヘロインの大半は、このエリア(黄金の三日月地帯)で育てられる。

●見出し案22
いまなお戦闘体制中の基地があった。
(ガズニ/アフガニスタン・イスラム共和国)
カルザイ暫定政権(現在は暫定ではない)は、国際連合軍と協力してタリバンを駆逐。しかし、リーダーのオマル師もアルカイダのビンラディン師も逮捕されてはいない。南部の州では依然、タリバン支持の民衆も多く、前線の基地ではいつでも出動できるよう大型兵器の準備も万端である。
※写真/掃射砲にまたがる軍人
▲「オマエは人を殺したことがあるか?」と聞いてきた軍人。中には銃弾が装填されていた。

●見出し案23
新生アフガニスタン政権が樹立した。
(カンダハル/アフガニスタン・イスラム共和国)
2004年10月9日に行われたアフガニスタン大統領選挙。国連・アフガニスタン共同選挙監視団の精査の結果、選ばれたのはカルザイ氏だった。一千万個とも言われる地雷の撤去、多民族国家という火種を抱えながら、いかに早く国際社会へ復帰できるか。新生アフガンからは目が離せない。
※写真/選挙ポスターと軍人
▲選挙用ポスター。他にもIDカードを作ろう、選挙に行こう、不正はダメですよ、という内容があった。

●見出し案24
イランから見た悪の枢軸。
(テヘラン/イラン・イスラム共和国)
「アメリカが好きか、イランが好きか、どっちだ?」と、ほとんどのイラン人が困った質問をしてくる。もちろん、イランと答えれば笑顔に変わる。「アメリカ」とは身の危険を感じて答えることはできない。2004年現在、旧アメリカ大使館の壁は、反米をテーマにしたペインティングが施されている。
※写真/髑髏の自由の女神
▲デートコースにも政治問題が首を出す。旧アメリカ大使館の壁には全面に渡って親イラン・反米の絵が描かれていた。


2003-01-04 試験運用4 [長年日記]

kobe

●見出し案25
トルコらしさがなくなる?
(イスタンブール/トルコ共和国)
イスタンブールに来る楽しみのひとつに、鯖サンドがある。筆者が2004年に訪れたとき、一回目は完全になく、次の時には細々と営業していた。どうやら記念碑委員会というところが、「景観を壊している」とクレームをつけたからという。らしさを捨ててまで、EU加盟を目指している。
※写真/鯖サンドの屋台
▲旅行者にとては、鯖サンド屋台があってこその景観。キレイ=景観のよさなのだろうか。

●見出し案26
ビール1本百五十万トルコリラでした。
(トルコ共和国全土)
2005年1月1日にトルコでデノミネーションが行われた。これはインフレ貨幣を抱える国家が余分なゼロを取ることだが、トルコの場合は他にも理由があったらしい。それは今年から山場を迎えるEU加盟とユーロ通貨に統合するための布石とのこと。もちろん新1リラ=約0.75ドル=1ユーロに設定されている。
※写真/旧トルコリラ
▲デノミ前の旧紙幣。切り下げ前は、なんと1ドル=1500000トルコリラ。

●見出し案27
ブルガリア正教徒の祈り。
(ソフィア/ブルガリア共和国)
ブルガリアで一般的に信仰されている宗教は、ブルガリア正教である。これはギリシャ系東方正教会の一派で、カトリックでもプロテスタントでもない。オーソドックス・チャーチと呼ばれ、キリスト教が生まれた中東を中心に、ギリシャ、東欧、ロシアへと広がった一派である。
※写真/ブルガリア正教の教会
▲トルコから来ると突然キリスト教文化圏に入る。住民の83.8%がブルガリア正教の信者という。

●見出し案28
残された銃痕が血の革命を物語る。
(ブカレスト/ルーマニア)
1989年12月21日、宮殿前広場。独裁者チャウシェスクの演説が銃声によりかき消された。革命の始まりだった。それから5日間で、彼と妻は銃殺される。ルーマニア革命の舞台である共産党広場には、いまなお銃痕がくっきりと残っていた。忘れてはならない記憶を、外国人でも見ることができる。
※写真/宮殿前広場の銃痕
▲「独裁者を倒そう!」「自由を!」と叫びながら散った命がルーマニアの礎となった。

●見出し案29
『国民の館』という名の私邸。
(ブカレスト/ルーマニア)
故・チャウシェスクは生前、飢えや凍え死にする国民から高い税を巻き上げ、私邸を建てていた。建築途中で革命が起こったとはいえ、部屋数3107、地上8階、地下5階、最地下には核シェルターを完備。総費用1500億円を投入して、ペンタゴンに次ぐ世界第二位の建物となっている。
※写真/国民の館
▲現在、その名に恥じぬ重要な観光収入源になっているのはなんとも皮肉なことだ。

●見出し案30
割れたガラスと雑草が語る歴史。
(アラッド/ルーマニア)
旧共産主義体制が崩壊し、一気に資本主義化した旧東欧諸国。中でもブルガリアとルーマニアはそのギャップにいまも苦しんでいる。工場の薄い窓ガラスは破れまくり、鉄道の線路には雑草が生い茂っていた。中にはその状態のままで操業している工場もあるのだから驚きだ。
※写真/電車と壊れた工場
▲資本主義化の波に乗り遅れたのは国民だけではない。国営企業や一般企業も同様に苦しんでいる。

●見出し案31
水よりも安い生ビール。
(ブカレスト/ルーマニア)
生1杯約35円。これ、ほんとの話です。それ以外にも宿泊費や交通費まで安い。しかしながら、その傾向も変わりつつあるのが現状。理由は、資本主義化して外貨がどっと入ってきたことがひとつ。そしてEU加盟を目指していることがもうひとつの理由。庶民の暮らしは厳しくなる一方だ。
※写真/ビールを注ぐおじさん
▲旧市街のバーは昼からたくさんの失業者やジプシーであふれている。

●見出し案32
バレエ・オペラ・メタルミュージック。
(ブダペスト/ハンガリー共和国)
旧共産主義体制が崩壊し、資本主義の産物がどっと流れ込んだ旧東欧諸国。このハンガリーも例外ではなく、西欧文化が若者を中心に大人気である。特徴は、我々にとっての新旧は関係ないこと。音楽でいえば、80年代も今世紀もごちゃまぜで町中にポスターが張られていた。
※写真/スコーピオンズのビラ
▲西欧文化圏では80〜90年代に流行ったメタルミュージックも、ここでは最先端である。

●見出し案33
壊れた街。壊れなかった街。
(クラクフ/ポーランド共和国)
第二次大戦中、首都ワルシャワはナチスドイツ軍とロシア軍の激しい戦場となり破壊された。だが、第二の都市クラクフには、中世からの街並がそっくりそのまま残っている。皮肉なことに、ドイツ軍の司令部があったため爆撃を逃れることができたのだ。アウシュビッツ収容所も郊外にある。
※写真/クラクフ中心街
▲現在のローマ教皇が生まれた街、『シンドラーのリスト』の舞台となった街でもある。

●見出し案34
人が人を処刑するという狂気。
(アウシュビッツ収容所/ポーランド共和国)
当初はポーランド人政治犯の収容所だったアウシュビッツ。だが、第二次大戦後期には大量虐殺のための処刑場として機能し始める。収容されたのはユダヤ人、政治犯、刑事犯、ジプシー、同性愛者など。髪の毛や義足を筆頭に、大量の遺留品が戦争の異常さを物語っている。
※写真/アウシュビッツでの展示
▲「働けば自由になる」と書かれた入り口をくぐった28か国、150万人のうち9割もの人がガス室等で殺された。

●見出し案35
さすがはピルスナービールを生んだ国。
(チェスキークルムロフ/チェコ共和国)
国民一人あたりのビール消費量世界一は、チェコだった。なんと年間162リットル(ビール醸造所連盟調べ)も飲むとのこと。しかも二年連続での受賞だという。対して日本は世界24位の55リットルだが、国民全員での消費量では、世界第6位に入る。チェコには数えきれないほどのビールがあった。
写真/川とビール
▲各街ごとに地ビールがあるというお国柄。なんとバドワイザーはチェコ生まれのビールである。

●見出し案36
チェコの誇り、Skoda。
(プラハ/チェコ共和国)
チェコは工業が盛んな国である。特筆すべきものは自動車産業である。フォルクスワーゲングループに属するSkodaは2003年に46.6万台を生産。国内企業の売上ランキングでも常にトップを走り続けている。この生産数はVolvoの41.4万台を上回るものである。
※写真/スコダの背面
▲旧東欧には、他にルーマニアのDaciaというメーカーがあるが、生産数はSkodaに遠く及ばない。

●見出し案37
コーヒーショップという存在。
(アムステルダム/オランダ王国)
大麻合法の地、オランダ。アメリカのいくつかの州と同様、世界に先駆けて合法化した国である。街を歩いてみると、夜でもそれほど危険な雰囲気ではない。しかしながら昼に公園などを散歩してみると、この街の真の姿に出会えた。音楽を聴きながら、何をするでもなくボーっとする人がたくさんいたのだった。
※写真/夜のコーヒーショップ
▲アムステルダムの夜は、大麻を求めてやってきた若者たちであふれかえる。

●見出し案38
幸せを見知らぬ人とも喜びあう文化。
(ブリュッセル/ベルギー王国)
欧州の結婚式は、日本のそれとは趣向が異なる。身内や友人はおろか、見知らぬ一般人にまでお披露目するカップルと出会うことができるのだ。その際にはタイコやラッパなどの楽器隊まで動員し、演奏が始まるや見知らぬ人同士が手を取り合って踊りあう一面も。
※写真/広場での結婚式
▲会場をあとにするときは、花などで飾られた車でクラクションを鳴らし、行進しながら帰る。


2003-01-05 試験運用5 [長年日記]

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●見出し案39
パリに見る近代建築の未来。
(パリ/フランス共和国)
パリの建築家が日本でも活躍している。周囲の景色を映し込む斬新なデザインで世界を魅了するジャン・ヌーベルは、東京の汐留に電通タワーを完成させたことで日本人にもおなじみである。ここパリにも彼の代名詞ともいえるアラブ世界研究所があった。
※写真/アラブ世界研究所
▲2001年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したジャン・ヌーベルの代表作。

●見出し案40
『さらば青春の光』の街、趣が変わる。
(ブライトン/イギリス)
60年代イギリスにおいて、大きなうねりとなったモッズという文化。その聖地がここブライトンだった。しかしながら、現在は同性愛者の聖地となっているのが現状のようだ。毎年8月には『ゲイプライド』と呼ばれるフェスティバルが開催され、世界各地から同性愛者が集ってくる。
※写真/ゲイプライド
▲フェスティバルのパレードは昼間に開催されるが、祭りは深夜まで続く。

●見出し案41
舞台の裏側で彼は泣いていた。
(アテネ/ギリシャ共和国)
内股での一本勝ち。鈴木桂治(平成管財)の金メダルに列島が湧いた。その影で大きな男が泣いていた。タメルラン・トメノフ選手(ロシア)である。その涙は本気で戦い、そしてチャンスに決められなかった悔しさからこぼれたものだった。一度限りで天国と地獄に分かれるのが真剣勝負である。
※写真/負けて泣くロシアの選手
▲決勝戦の観客はほとんどが日本人。鈴木選手への拍手と声援は彼の無念さをさらに募らせた。

●見出し案42
たった1時間で真っ赤に染まる街。
(ブニョル/スペイン)
世界で最も由来に説得力がない祭り、トマティーナ。1940年代、ブニョル市での祭りに参加していた音楽隊の行進に向かって、悪童たちがトマトを投げたことから始まる。1949年には市役所の後援も取り付け、世界的に有名になっていった。なんと、ここはトマトの産地ではなく、他所から買っているという。
※写真/トマティーナ風景
▲トラック5台、120トンものトマトがたった1時間でなくなる。終了後は近くの川で体を洗う人が多い。

●見出し案43
意外な食文化の近似。
(フエンヒローラ/スペイン)
日本人とスペインのバル(バー)はすこぶる相性が良い。その理由のひとつに魚介類が豊富なことが挙げられる。イカ・タコ・カニ・アサリなど、他の欧州の国とは違って我々の食文化と非常に近い素材を使う。酒類はビールやワインの他、ワインカクテルのサングリアなどがメジャーである。
※写真/アントニオの店
▲人気のバルは味も良い上、回転が早いため素材も新鮮である。

●見出し案44
スペインにはイスラム世界が存在した。
(グラナダ/スペイン)
7世紀に興ったイスラム教は一気にアラブ・北アフリカと西に広がっていった。その西端は、なんと現在はヨーロッパのスペイン。1238年にはここグラナダを首都とする王国が誕生している。1492年に陥落するまで、ずっと育まれてきたスペインのイスラム文化の粋がアルハンブラ宮殿だ。
※写真/アルハンブラ宮殿の池
▲アルハンブラは「赤い城」という意味。砂漠地帯で生まれたイスラム建築は水を巧みに利用する。

●見出し案45
太陽が降り注ぐ街の住宅事情。
(バルセロナ/スペイン)
新旧の調和。このテーマで最も成功している街のひとつにバルセロナが挙げられる。近代的なビル群から個性的な集合住宅、1900年代前半の味わい深いアパートのすべてが並ぶ。また、ガウディを筆頭にミース・ファン・デル・ローエやジャン・ヌーベルまでもがひとつの街を形作っているのだ。
※写真/サグラダファミリアと街
▲サグラダファミリア大聖堂の展望台からは、バルセロナ市街が360度見渡せる。

●見出し案46
2006年、ロード・トゥ・ジャーマニー。
(ミュンヘン/ドイツ連邦共和国)
人口130万人、ドイツ第三の都市にしてバイエルン州の州都ミュンヘン。オリバー・カーン率いる「FCバイエルン・ミュンヘン」と「TSV 1860ミュンヘン」のホームタウンとして、ここもワールドカップの開催地に選ばれている。新設されるアリアンツアレーナは今年にも完成する。
※写真/建築中のスタジアム
▲本戦では6月9(開幕戦)/14/18/21/24日、7月5日(準決勝)での開催が既に決まっている。

●見出し案47
駅で夕飯を食べる人たち。
(ウィーン/オーストリア共和国)
ハプスブルグ帝国時代を筆頭に、貴族の国であり続けたオーストリア。旧東欧と隣接している立地にも関わらず、物価は驚くほど高い。首都ウィーンでは、浮浪者やルーマニア系ジプシーへの炊き出しが行われていた。栄光の歴史の影で生きる人たちが、自由化の影響で増えている。
※写真/炊き出し
▲炊き出しを食べたあとは、朝まで駅構内で野宿する。その数は100人を軽く超していた。

●見出し案48
フランス文化の足跡をたどる。
(アレッポ/シリア)
フランスの旧植民地政策が成功した例は数少ない。いまでもアフリカでは、旧フランス領の国々で政争や内戦が起こっている。そんな中、フランスが残した文化でも最も評価できるのはスイーツ(洋菓子)である。ここシリアでは、高級かつ美味なケーキがいまも国民上層部に食されている。
※写真/hanaのケーキ
▲あらゆる味が楽しめるケーキ。特に生チョコのケーキは欧米で食べるものと比べても遜色がない。

●見出し案49 庶民の暮らしから知るイスラム教。
(アレッポ/シリア)
イスラム教の教えを体感したければ、シリアに訪れてみるのはどうだろうか。昨今のニュースで危険なイメージばかりがつきまとう宗教だが、その素顔は純朴なものである。貧しい人を助ける教え、他人に幸せを分け与えるという教えがここまで浸透している国は、数少なくなってしまった。
※写真/3人組
▲資本主義社会に組み込まれていないイスラム教の国として、独自の価値観を世に提供するシリア。


2003-01-06 試験運用6 [長年日記]

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●見出し案50
軍事政権が生み出す価値観。
(ラタキア/シリア・アラブ共和国)
シリア人が素朴なのは、圧倒的な警察権力によって犯罪者を取り締まっているからでもある。もちろん言論の自由はない。大統領の悪口や政治批判、イスラエルの話題を出せば、即座に拉致・監禁されてしまうのだ。国内では大統領のグッズを多数販売していて、国民のほとんどが身に付けている。
※写真/権力を握るアサド父子
▲石を投げれば秘密警察にあたる、と言われるまでの組織を育て上げたアサド父子。

●見出し案51
正義がどちらにあるか、は重要ではない。
(クネイトラ/シリア・アラブ共和国)
シリアはアラブの中でも、最も反イスラエルの国家である。1967年の第3次中東戦争におけるイスラエル軍の破壊の様子を、後世に残すべく保存している。学術的にはシリア軍が自ら破壊したものだという説と、イスラエルが空爆したという説があるが、戦争の悲惨さを物語っているのは間違いない。
※写真/爆撃された病院
▲クネイトラの中で最も目を引くのが、無惨なまでに破壊された病院である。

●見出し案52
絶対に沈むことができない海水浴場。
(死海/ヨルダン・ハシミテ王国)
死海の基礎スペックをご存知だろうか。標高マイナス394メートル。これは標高0メートル地点より394メートル分の空気が余分に頭上にあることを意味する。気圧が高いと密度が上がり、水に溶ける物質量も多くなる。塩分濃度は27%の死海で立ち泳ぎすると胃のあたりまで浮くことができる。
※写真/死海で遊ぶ人たち
▲泥や塩など、日本でも人気の健康成分はそこら中にいくらでもあって使いたい放題だ。

●見出し案53
サーマル氏は本気で苦しみ、悲しんでいる。
(アンマン/ヨルダン・ハシミテ王国)
フセイン政権の時代から、イラクを目指す日本人は存在した。そのほとんどはアンマンのクリフホテルを経由する。理由は以前までイラクツアーを出していたため、情報に事欠かないからだ。戦争によりツアーは消滅した上、スタッフは昨年「絶対に行ってはダメだ」と言い続けてきた。しかし、向かう日本人もいた。
※写真/くつろぐサーマル
▲昨年、テレビや新聞に取り上げられた日本人たちもここから出発したという。

●見出し案54
2聖地は祈りに包まれているが、しかし。
(エルサレム/イスラエル国)
三大宗教の聖地が同じ街の同じ旧市街に密集しているという。ユダヤ教の『嘆きの壁』、キリスト教の『聖墳墓教会』、イスラム教の第三の聖地『岩のドーム』である。そして、この土地をみっつの宗教すべてが「自分の宗教こそがエルサレムに根付くべきである」と主張しているのだ。
※写真/岩のドームと嘆きの壁
▲岩のドームを取り除き、いつかはユダヤ教の神殿を再建しよう『嘆きの壁』に祈る信者たち。

●見出し案55
主張=紛争の火種の図式。
(エルサレム/イスラエル国)
一世紀に勃発したユダヤ戦争で、ローマ帝国はエルサレムにあるユダヤ教の神殿を完全に破壊した。その後、イスラム教がメッカで興り勢力を拡大。この地の土着宗教となる。第二次大戦後に欧米の政策によりユダヤ人が帰ってきたため、エルサレムはさらなる混乱に見舞われることとなった。
※写真/第三代目の寺院建設予定図
▲岩のドームを壊して新神殿を建てようとするユダヤ教右派の看板。ルーツを同じくする三宗教の争いは激化の一方だ。

●見出し案56
アラファト氏死去、そのとき。
(アカバ/ヨルダン・ハシミテ王国)
アラブを引っ張ってきたアラファト氏が2004年10月に亡くなった。関係諸国における反応はさまざまで、アラブのすべて国家は哀悼の意を表明。エジプトでは葬儀が盛大に行われた。その一方で敵対してきたイスラエルのユダヤ人は、花火を鳴らすなどの喜びを全面に表したという。
※写真/半旗のヨルダン大国旗
▲半旗ではためくヨルダン国旗。ニュースや新聞を食い入るように見つめる庶民の姿があった。

●見出し案57
イスラム教徒はメッカに向かう。
(ヨルダン〜エジプト間フェリー)
イスラム教徒には五つの義務がある。アッラーが全知全能の神だと唱える。メッカに向かって1日に5回礼をする。ラマダン期間中に断食する。財産を貧しい人に分け与える。そして、メッカに巡礼すること。この船はアフリカ方面からメッカに行き来する人の大動脈となっていた。
※写真/夕方17時に一斉に食事を取る
▲断食月には特に巡礼者が増える。17時、断食終了の合図とともに一斉に夕食を取る人たち。

●見出し案58
イスラム国家の酒事情。
(カイロ/エジプト・アラブ共和国)
コーランがイスラム教徒に禁じていることをハラームという。日本で有名なハラームは豚肉や酒類の飲食、結婚前の男女の性交渉などである。しかしながら、中東諸国では酒が手に入ってしまう。なんと酒屋がほとんどのアラブ国家にあるのだ。ちなみに豚を売る店はほとんどない。
※写真/カイロの酒屋
▲気になる銘柄は「ジョニーワーカー」「ワディーホース」「ガカルディ」など、盗作ばかり。

●見出し案59
イスラムの断食月は社会のルールが変わる。
(カイロ/エジプト・アラブ共和国)
ラマダン(イスラム暦の第9月=断食月)のときは、役所・オフィス・商店・観光地などの開いている時間が変更される。もちろん通常時より短くなるのだ。飲食店のほとんどは、1日の断食終了時刻である17時頃オープンする。対して観光地や役所などは昼間早々に閉めてしまう。
※写真/ラマダンタイムの看板
▲カイロ市内で最も有名な博物館でも開館時間の短縮が行われている。

●見出し案60
迷走するアラブ国家の政治方針。
(カイロ/エジプト・アラブ共和国)
電話ボックスにイスラエルとパレスチナの国際電話番号が書かれていた。これはエジプトという国家が矛盾するはずの両国の存在を認めていることを意味する。1979年にイスラエルと和平協定を結び、米国から巨額の経済援助を与えられるようになったのだが、若者の中には武装組織に走る者も出た。
※写真/電話ボックス
▲経済援助を取るか、『アラブの大義』を取るか。両方を選択したエジプトの未来はいかに。