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sawadee!!紀行+


2009-01-24 もしかすると [長年日記]

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ひょっとするとこのブログだけご覧の方もおられるかもしれませんのであらためて告知します。
旅の写真と旅行記・世界の標識『sawadee!!kikou』はhttp://uracci.comに引っ越しております。
ぜひぜひ、一度はご覧くださいませ。よろしくお願いします。


2008-10-14 新生sawadee!!kikouについて [長年日記]

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お久しぶりです。「sawadee!!kikou」のuracciです。いま(何度目なんだろう)という、サイトの再構築を行っています。キッカケはBind2というソフトを手に入れたことなんですが、よいですね。とても作成作業や更新作業が早く済みます。新生サイトのコンテンツは今までと似ていると言えばそのとおりなんですが、今日作ったところは「アフガニスタンの標識・サイン・ピクトグラム・ペイント・落書き」のページです。

ご存知かもしれませんが、私、これでいてけっこう標識をコレクションしているんです。そのリストをwebで表示できればいいなとずっと思ってました。しかしながら、標識というからには写真かイラストが必要です。膨大な数の写真は持っているのですが、このレタッチがとても厄介。そんな悩みを解決してくれたソフトでした。

なんとかいまLINKやプロフィールの移植が終わり、エッセイの移植も終え、やっとサインまできたところです。もうちょっと時間はかかると思いますが、毎日更新していますので、ご期待ください☆


2008-08-30 ピンクの花は微笑まない [長年日記]

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みなさん、タリバンやその周囲のイスラム原理主義組織がペシャワール会の伊藤さんを殺害したと思っておられるでしょうか?アフガンのニュースを何年も見てきて、(まだ10年ほどですが)実際に足を運び、この国について調べまくった経歴のある私の見解は「NO」です。

犯人は誰か、ということの前に、まずタリバンをはじめとする組織が犯人でない根拠について書き、誰が怪しいのか書きます。

●二転三転する犯人の供述
これまで各国でイスラム原理主義組織に拉致された方々のニュースを思い起こしてください。彼らの主張は、いつもひとつの主張に集約されます。
・政治犯の釈放
・資金の提供
・アメリカなどの軍隊の撤退
・政権に対する不満
これらの要望の中から、必ずひとつ選んで交渉します。理由は簡単です。ひとつに絞らないと交渉が成立しないからです。今回はどうでしょう?捕まった二人の供述は金だったり、アメリカ軍の撤退だったり、一貫性がありません。これは、とても珍しいことです。つまり、交渉することが目的じゃなかった可能性があります。

●犯行声明の出元が不確か
また、犯人は犯行を越した後、声明を出します。その犯行声明を出す団体は、ほとんどの場合、wikipediaなどで調べると何らかの情報が出てくるほど名前の知られた団体です。そうでなければ、交渉が優位にならないからです。今回はどうでしょう?タリバンとつながりのある、、、何て団体だっけ?という感じ。マイナーな団体というよりは、ペーパーカンパニーのような印象。

●ペシャワール会は日米の鼻つまみ者
2001年に日本の国会で「テロ特措法」の審議中、ペシャワール会代表の中村医師は証人喚問を受けています。その場で彼はアフガン空爆や自衛隊派遣について「有害無益」であると述べています。このことで、テロ特措法成立を望んだ側から「売国奴」「タリバンの手先」とまでののしられています。
ペシャワール会のホームページはこちら
タリバンの手先と言われてしまう団体の職員がタリバンやそれに近い団体から殺されるでしょうか?

●ペシャワール会をタリバンは認めている
2001年といえば、タリバンがアメリカから物資や武器、資金の提供を受けて勢力拡大し、アフガニスタン全土をほぼ制圧した頃です。その頃にもペシャワール会は活動しています。つまり、ペシャワール会はタリバンを含め、歴代のアフガニスタン政府から存在を認められ、活動を許可されている団体と考えられます。タリバンは確かにいま外国人排斥を目指していますが、彼らは実績からまったく別のポジションにいます。

●2001年アフガン空爆で緊急食糧援助
アメリカがテロとの戦いという胡散臭いことを始めてすぐアフガニスタンは空爆されました。そのときに緊急食糧援助をしたのは他ならぬペシャワール会です。その前からあった風潮ですが、このことでさらに「ペシャワール会には手を出すな」という現地の暗黙ルールが形づくられていきます。

●パシュトゥンワーリーは破られない
パシュトゥンワーリーとは、援助国の意見やらアフガニスタンの国の法律などよりもパシュトゥン人には大切な掟(=暗黙の了解)です。破れば一族郎党まで死を迎えることもあるほどで彼らは絶対にこれを破ろうとしません。氏族ごとに独自のパシュトゥンワーリーがあり、特に大切なことに関しては、長老同士の集まりでそのエリアのルールが定められます。
「ペシャワール会には手を出すな」は、まさにエリアでのパシュトゥンワーリーなのです。もし伊藤さんを殺したのが普通のパシュトゥン人やイスラム原理主義のパシュトゥン人(タリバンとか)なら、ペシャワール会はパシュトゥン人に対して何らかの裏切りをしたことになります。そして、ペシャワール会はおそらく何も裏切っていない。
このことから、タリバンを含め、通常のパシュトゥン人ではないことが分かります。さすがのタリバンも、アメリカは怖くなくとも氏族の長老たちの反感は、絶対に買わないでしょう。

●では、灌漑工事が完成して困るのは誰?
灌漑工事が完成すれば、農業で食糧も作れるし、水は確保できるし良いことづくめなのに、なぜ殺されてまで脅されたのか。その理由はひとつです。
灌漑ができる→食べ物ができる→アフガン人にゆとりができる
この構図を嫌うのは、ただひとつ。ずばり、安値でケシを作らさせ高値で売りさばいている連中です。知らない人には意外かもしれませんが、タリバンはケシの栽培を禁止していました。(歴史事実)理由は、吸ったらパーになるからではありません。作ると、ケシを買い取る連中=外国人の言いなりにアフガニスタン国民が堕してしまうからです。
でも、現在その禁止事項は、カルザイが大統領になって以来、有名無実化してしまいました。カルザイはユノカルというアメリカ石油メジャーで元特別顧問にいたとまことしやかに囁かれています。かつブッシュ政権の代理人です。
もう、ここまで書けば、犯人は明らかでしょう。


この実行犯が予想外だったのは、伊藤さんがジャララバード周辺の人たちから考えていた以上の支持を集めていて早めに足がついてしまったこと。村の人たちが一致決断して救おうとして、逆に焦らせてしまい撃ち殺されてしまったのはとてつもなくやるせない思いになります。
よっぽどタリバンやその周辺がやったという根拠が出てくるまでは、自分は、自分の肌で感じたアフガンの事実と、知っていたこと、今回調べたことから導いたこの結論を信じます。
まだまだアフガニスタンについては知りたいことが多いので、反対意見の人でもそこらのニュースソースでないソースや論理展開がある方のご意見も聞いてみたいです。

アフガニスタンのケシ


2008-07-23 100の雑誌より1冊の本 [長年日記]

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Ahmed Rashid著「タリバン―イスラム原理主義の戦士たち」に出てくるカンダハルのサッカースタジアム

「100の雑誌より1冊の本」を合い言葉に
お互いがんばろうと励まし合った仲間が本を出しました。
勝ち負けじゃないけど、こりゃ彼の勝ちだ。

まずはおめでとう!
そしておめでとう!
とてもおめでとう!

彼の名は桜木武史さん。
著作は 「戦場ジャーナリストへの道 カシミールで見た「戦闘」と「報道」の真実 」(彩流社)です。

僕たちが出会ったのはカブールでした。
その頃、僕は僕なりの思いがあって旅をしていたんだけれども
彼がカブールに滞在している目的を聞いて
ビックリしてしまったのを覚えています。

「ケシの闇ルートを追っているんです」

彼は戦場ジャーナリストの卵として
僕は旅ライターの卵としてその場にいたわけだけれども
桜木さんの方が、もっとピュアに目的に向かい、
そしてその途上だったわけです。
恥ずかしいくらい、無計画な自分…

まぁ、それはさておき、
桜木さんも自分も、旅で先行投資した分を原稿に変えて
「今回はトントンでした」とか報告し合っていたんだけれども、
桜木さんはアルバイトをしながら夢へ
自分は運命に流されるように、この業界でがんばっていたわけです。

国際情勢はというと
そのうち、アフガニスタンの状況が悪くなって
さすがの桜木さんも入りにくい国に。

いや、実際はタリバン支配下エリアの
クンジュラーブ峠からジャララバードを通って
カブールにその後も滞在していたんだけれども
どうしてもタリバンの脅威が高くて、
田舎の方まで行けずに帰ってきて
「情けない」と自分を責めていたのを思い出します。

その後、地震後のカシミールとパキスタンへ向かい
(おそらく)二度目のカシミールで銃撃され
その時に顎を打ち抜かれました。

ニュース映像で、血まみれになりながら銃から逃げる桜木さんを見て
「生きていて本当に良かった」と、当時も今も思うわけです。
当時、銃撃されたことはニュースになったけれども、
その後の彼の苦労は、撃たれたときより大きかったのではないか。

肩甲骨を削り取り、その肩甲骨で顎を作ったわけです。
そして背中の肩甲骨にあった場所には人工の骨。
肉が食えるようになるまで1年以上かかったと言っていました。

そんな桜木さんの渾身の一作が、やっと世の中に出るのです。
ぼかぁ、自分のことのようにうれしい。

カブールのJAMIL HOTELの屋上の小さな窓もない部屋で
自分と桜木さんとマイミクのよしやの3人が
シャルワルカミースというアフガンの民族衣装を着て
アザーンが鳴り響く蒸し暑い中、
本気なのか大風呂敷を広げているのか分からない未来を語り合ったっけ。

あのとき撒いていた種が花を付け実ったんだね。
おめでとう。

次は僕たちの番です。


(写真はAhmed Rashid著「タリバン―イスラム原理主義の戦士たち」に出てくるカンダハルのサッカースタジアム)

2008-03-28 熱さとは [長年日記]

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2002年以来のweb旅行記を作り始めている。

制作中の松花江暮歌

その2002年のやつとは何かというと、ラダックを自転車で走った時の「ラダック〜チャリンコ記〜」なんだけれども、あの頃は何もかも分からず、ただただこの旅を世に発信したくて必死になって作った。

今、見ると「あそこはこうしたい」「これをこうしたい」なんて、いろいろ思う所はあるのだけれども…文章や写真が傍目には上達したいま、この過去の自分が思わぬライバルになっている。

自分で言うのも何だが、とにかく熱っ苦しいくらい情熱があるのだ。冷静を装っているけれども、必死でちゃりんこに乗ってヒマラヤを越え、わけのわからんwebにがむしゃらに取り組んで、やっとできたのが、これなのである。ひょっとすると、これまで何年も制作業をしてきて自らが「作品」と呼びたいのは、これだけかもしれない。そんな思いと、歳を取った自分が若い自分と向き合っている。

やったろうやん、最も仲の良い青二才。
熱さにおいても、おれはきみに負けない。


2008-02-26 GWに行きたいとこ決めた! [長年日記]

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本当は、 アラブ首長国連邦→オマーン→イエメン→ジプチ→エチオピア なんていう1か月旅を考えていたんだけれども、 こんなことしてる場合じゃない!となって GWの出国計画が白紙に戻ったんですわ。

自分と彼女にとってはアラビア半島よりも 優先しなきゃならない場所がいくつかあって (相当にイスラム圏が好きなのだけれども) それがどこかっていうと ・東ヨーロッパ ・キューバ ・ベネズエラ ・ツバル ・北朝鮮 なわけです。 これらに共通することって何かっていうと 「消失」です。

時は万人に共通に流れ、 ぼくらの身の回りだって日々ホログラムのように変化しているんだけど、 上に挙げた5つは、劇的な変化の渦中にあるエリアで いま行っておかないと、もう二度と味わえないものがあるところ。 チャンスがあれば優先すべきだ!ってことで 1か月あればいろいろ楽しめる東ヨーロッパに決定しつつあるわけですな。

2004年にチェコ、ポーランド、ハンガリーで 「あぁ、もうすぐ西欧と同じになっちゃうな」と感じたのもつかの間。 絶対に無理と思っていたルーマニアやハンガリーまで EUROになることが確定しちゃった。 旅人として少々かじった共産主義だけれども もう二度と味わえないと思うと 保全活動が盛んな世界遺産なんかよりも 自分にとっては偉大な文化遺産なんです、東欧共産主義。

旅をしないマイミクさん用に例えてみると 「気になるバンドの解散ライブ」とか 「閉店しちゃうお気に入りレストラン」とか 「あの格闘家のラストマッチ」みたいな感じかも。

さよなら、灰色の世界。 きっちり体感して後世に残しますわ。

↑まだチケットも取ってないし、 仕事の都合も見えてないのに妙に強気。 こういうときは大丈夫。 1か月程度の期間で行く前から旅ロマン全開なのって久々かも。

※追記 あと、なんとなくイヤな感じがするのはコソボの独立宣言。 欧米を追いかけて日本も承認するのは、もうまぎれもない現実で 今後はセルビアには入りにくくなっちゃうかもしれない。 そんなヨミもあって、目指せ!東ヨーロッパというわけです。 モルドヴァとかマケドニアもヨダレもんだ。


2008-01-07 目の前に広がる北の国 [長年日記]

虎山長城/中国

あの木は北朝鮮に生えている。
中国の丹東のはずれにある虎山長城より