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sawadee!!紀行+


2004-01-17 泥仕合と民主主義

LEH(LADAKH)

「今日は北の池でアイスホッケーの試合があるぜ」。あさからやる気になる情報をゲットしてしまった。こりゃ行かねばならんだろ。ということで、おやつのチャパティーをポケットに忍ばせて北の池とやらへ。

丸い池をいっぱいに使ってスクエアが描かれている。しばらくすると、これから試合をすると思われる面々が練習をはじめた。ぼろぼろのユニフォーム。手書きの背番号。何人かは帽子もかぶらず、何人かはコンビニで売ってそうなうすでの手袋でスティックをふりまわす。試合は泥仕合だった。これでもか、というほどの。

第二戦目。こんどは雰囲気がガラリと変わった。なんと白人チームの登場である。防具は最新鋭。ひょろっとしてメガネをかけたヤツがいるな、と思ったらテレビカメラのようなものをまわし始めた。リッチである。彼らはおそろいの白いユニフォームを身にまとっている。バスケットボールで有名なシカゴブルズをそのままパクったものだ。チーム名はカナダハイコミッションチーム。デリーで仕事をしている彼らだが、シーズンになると国際親善もかねてわざわざデリーから飛んでくるのだとか。

先ほどの勝者のスピトクとの試合がはじまった。人数はギリギリ。装備は遠くおよばない。そんなスピトクだったが、この試合は本気モードだったのか、どんどん押し込む。だが、ゴール寸前でいつも失速。カナダチームのディフェンスは堅い。そしてカウンター気味に攻める。しかも人数に余力があるので、疲れる前に、またはオフェンスとディフェンスのときなど、うまく人海戦術を使う。スピトクが1点取った。相手のクリアミスをショットしたものである。カナダチームも点を取った。こちらは教科書に載りそうなほどのきれいなカタチ。サイドをひとりが駆け上がり、ラストパスをゴールラインと平行に供給。ゴールゲッターは打つだけ、という状況だった。

試合はスピトクが1点差で惜しくも負けた。場内は両チームに惜しみない拍手。ゲストハウスに帰って、さて、と思い立ち、体を洗ってみた。風邪を引いてしまった。ラダックの気温はアイスホッケーができるほど低い、ということを忘れていたのか、中途半端にこぎたないせいか、思わず。。。

ふむ、以後、体は洗わないべきであろう。


2006-01-17 丸仙@武蔵小杉

musashikosugi

やっと出会った。麺もうまいラーメン屋。やっと出会った、ごちゃごちゃ前口上を語りまくらず、流行りの内装を追いかけず、食券を買えと言わないラーメン屋。ここは◎ですなぁ。
関東に来てから、「店主」やら「ラーメンマスター」なるものが、やたらと「ウチのスープは1kgから●人前しか取れないゲンコツを、丸半日以上かけてことことじっくり煮込んだこだわりの…うんぬん」と口やかましく変形書道文字でせまってくる店が多かった。そしてご多分に漏れず、スープにこだわる店のほとんどは、「麺のこと、忘れてまへんか」という状態だったのだ。
しかーし、この武蔵小杉の丸仙という店は素晴らしい。☆×4つ半だわ。来客があったら、ここに連れていこうっと。
※ちなみに☆×5つというのは昨年に書いている月島の「岸田屋」という大衆酒屋です。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

ゆっきー [あら!武蔵小杉の丸仙にいらっしゃいましたか! そこまで来たら、うちはすぐそこですよ〜。 次回はぜひお声を掛けてくださ..]

kumi [ラーメンと言えば、私も最近おいしいとこ見つけたよ。 R171沿いの「一世風靡」ってとこ。名前はうさんくさいけど 食べ..]

uracci [ゆっきー> おー、そだった。ゆっきーは小杉やったよね。 O君も呼んで、ぜひ行こう。 kumi> もれなく行かなアカ..]


2007-01-17 ひとつでも忘れずに

okurayama_yokohama

世界中に、日本中に風化させてはならないことが山ほどある。もちろん阪神淡路大震災もそのひとつだと自分は思う。だから、毎年この日には何かを書かなくてはならないという気分になる。
以前も日記に書いたのだけれども、大きな地震を体感したことのない人は、「揺れたら家の外に出たらいいんですか?家の中にいたらいいんですか?」と尋ねたりしている。この答えは「Yes」や「No」で答えることができない。なぜならば、揺れて動けるならたいしたことがない揺れなのだ。大震災ってのはそんなんじゃない。鬼に首根っこを持たれて引きずり回されるというか、香港の中華料理やでフライパンの上を舞う野菜炒めの野菜の気分というか、地域丸ごと長島スパーランドというか、そもそも動けないものなのだ。
だからといって悲観することはない。備えあれば憂いなしというのは確かなことだ。震災が起こったときに特に人口が多いのは「家が半壊」〜「家はあるがライフラインが壊滅」という層であろう。つまり、命からがら生き延びて突然サバイバル生活を開始できるグッズを持っていることもかなり大切な要素なのだ(直下型で震央付近で被害最大の場合はまた今度)。例えば、寝袋やテント、ガスコンロ、水に入れる殺菌剤などがあれば、かなり心強い。もちろん食べ物や水は配給制で困窮するのだが、問題がなければ周囲の人と同様にもらうことができるわけで、逆に生活グッズの方が手に入らないものだ。アウトドアグッズは日頃のレジャーも豊かにしてくれるし、緊急時にも最低限の生活ができるようになるグッズなので、あるに越したことはないと思う。
今回は余裕で生き延びた場合に必要なものだけれども、いろんな情報を発信していくことが鎮魂につながると信じている。亡くなった方々、あれから12年が経ちました。でも、生きているみんなはあの日のことを忘れていませんよ。